香港で大公報、蘋果日報とも1面は一昨年十月朔日、国慶節の日の「非合法」デモに関する民主派領袖ら8人に対する判決。
当時すでに市民デモは不認可となつてをり、さうすることで運動は暴力化してゐたが、その暴力的抗議活動の主体はすでに黒衣の若者たちになつてゐたわけでヴェテランの民主派議員や社会運動リーダーが、その「暴力」行為を組織した首謀かといへばさにあらず。それをかうして懲役刑に処するのは「見せしめ」以外の何ものでもない。蘋果日報社主ジミー黎智英氏はすでに既決の刑と合はせ20ヶ月の懲役。大公報は楽しさうに裁判官に対しては恐喝まであると御用裁判官らを護つてみせる。
茨城は籠球で地元の茨城ロボッツがB1昇格は東京五輪への関心に勝るものあり本日は水府で祝賀パレードあり1,600人(主催者発表)の市民がロボッツ祝福したのだといふ。
バスケット・ロボッツ 水戸でパレード ファンが昇格祝福(茨城新聞)
本日午前中に散髪を済ませ家人と茨城県美術館へ。東京九段にある千秋文庫の古文書展。千秋文庫は水府の戦国大名で秋田に転封となつた佐竹氏の中世からの古文書等2千点余を保管する他家に類を見ない書庫。佐竹家第34代当主・佐竹義春の家令職を勤めた小林昌治氏が義春侯より譲渡された資料を昭和56年に設立した由。
北関東を支配して全国的にも有数の戦国大名であつた佐竹氏が誰と戦ひ誰と和議を結び誰につき何うなつてゐつたか数十点の文書を時系列で読み進むのが面白い。古文書を読めるだけの素養もなく解説の文言を追ふばかりだが戦国の当時、諸国の武将らが何うした手段で以て全国の覇権の状況推移を把握し自らの軍の進退を決めていつたのか。その中で文書は重要な情報手段であるが文書をやりとりできるのも厳しい上下か対等な関係に限られ「恐懼謹言」や「候也」といつた文末表現、朱印か刻印か、花押の有無などでも、その文書を交はす二人の関係、文書の重要性の如何など随分とわかるもの。難読の古文書を眺め続けてゐると少し「あ、かういふ字か」と読めるところも二つ三つと増えるから面白い。若き豊臣秀頼がどれだけ達筆で文人肌の四代将軍家綱もとてもきれいな筆運び。
この展示に思つたより長く見入つてしまひ歴史館敷地内にある江戸時代の民家や明治期の洋風建築たる水海道小学校校舎など家人も興味あり見てゐたら午後も1時半くらゐ。歴史館の近くの水戸市東町運動公園体育館(アダストリアみとアリーナ)の参道に「来々軒」といふ評判の地元中華があると知人に聞いてゐたので、そちらに。
上述の茨城ロボッツのパレードは避けたつもりであつたが午後は、このアダストリアみとアリーナでロボッツのB1昇格報告会なるもの開催されてゐるさうで運動公園はそれなりに賑やか。この来々軒もそれとは関はりのないことなのだらうが昼食ときを過ぎてもまだ外に待ち客が並んでゐる。確かに美味。餃子も水府でいへば昭和の大工町にあつた〈廬山〉のやうにかり/\で美味いが太麺のタンメンは格別でスープのコクが何とも見事でスープつい/\全部飲んでしまつた(だが後で猛烈に喉が渇くなんてこともない)。
その運動公園参道で来々軒の並びにツバメが頻繁に往来する軒があり覗いてみると昭和の昔からある八百物店。こちらは通りすがりの者だといふのに女将が親しげにツバメが軒に造つた巣の様子や、これが去年ので昔はここに、と古い巣まで見せてくれる。かうなると手ぶらで「それぢゃ」も失礼で店内見渡したら美味しそうな台湾パイナップルがあつて、それとソラマメを贖ふ。そら豆も昔なら今頃から六月が旬だつたが今は四月には市場に出て今はもう熟しきつたものが並んでゐる。
今日、散髪しながら岩波書店『図書』を眺めてゐて岩波文庫で『源氏物語』が従前からの山岸徳平校註全6巻と別に体裁も読み易くさらに校註を増やしたものが岩波文庫創刊九十周年で四年前から出てゐたことを知る(現時点で全9冊のうち8冊まで刊行)。『源氏』は同文庫で山岸版を読んだといふより眺めた程度で注釈でもやはり古典に暗いアタシには六ッかしいところあり現代語訳は円地、橋本治に寂聴などで筋こそある程度覚へてはゐるがやはり余生もう一度きちんと読んでをきたいと思つて散髪のあとに水戸傾城の丸善書店に寄つたのだが岩波書店の書棚は狭く日本文学は殊更少なく『源氏』は在庫なし。そこで何気に旅行本の棚『鉄道の旅手帖 四訂版』(で実業之日本社)なるもの見つけてしまひ購入。1980年まで遡り既に廃線となつた路線や現時点で今後着工計画のある路線がリニア路線から地元茨城ではひたちなか海浜鉄道の延長路線まで書き込まれてゐてあばらかべっそん。さらに東日本大震災での鉄道路線の移設もきちんと旧線と新線が描かれてゐるとは!(上写真中)。これを自分の記憶を頼りに塗り潰し始めたら路線だけではなく各路線毎の全駅リストまであるので乗降経験のある駅の◯を塗りつぶしてゐたら夜中になつてしまつた。アタシは自称「鉄ちゃん」だが人生の半分は外地で大学生くらゐまでに乗つた路線が大部分なので北海道や日本海側、関東以西となると主要幹線しか乗つてをらず、まだまだ初級レベル。せめて地元くらゐは、と言ひ張りたいところだが関東鉄道でも筑波線(昭和62年に廃線)など乗破してゐるつもりが今回よく/\考へてみたら岩瀬から真壁まで乗つて冬山の筑波山北壁をアタックして表筑波に降りてきて鉄道で土浦に出たりしてゐるので厳密には真壁〜筑波区間は未踏のまゝだつたことなど改めて気付かされた。