富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

須永朝彦


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(大公報)深港合作で「口岸経済」なんて言葉が生まれてゐた。合作のためには福田など口岸*1のヒトや物の往来の簡便化が重要で、それによりビジネス隆興と。近い将来いつの間にか「香港特区なんてあつたの?」といふ時代になるのであらう。(蘋果日報)「非合法」集会での検挙者の75%が即時入獄で判決の厳罰化。法律専門家からは非暴力的抗議活動は減刑といふ最終裁の原則が踏みにじられてゐるといふ指摘もあるやうだが香港はもはやそんな法規則性なんて求めることも難しい。

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台湾蘋果日報停刊。

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スガ支持率急落(朝日新聞)。それは当然の報ひだがワクチン接種状況への一喜一憂で内閣支持率が上下するといふのも世論は浅慮すぎないか。 もし旧民主党政権でこの感染対応の悪さだつたら国民の非難轟轟で1か月に1回首相が変はつて3カ月で政権交代だつただらう。国民は自民党に甘すぎる。自民党=日本だから、つまり自分に甘すぎるのだ。同じ一党独裁政府でも中共の方がいつ「政体崩壊」(政権に非ず)が起きてもおかしくないといふリスクを覚悟して政事にあたつてゐるやうにすら思へる。革命政府のDNAなのだらう。

本日農暦四月初六。母がお弔ひで常陸太田に行くのに自動車で付き合ふ。国道349号線(旧棚倉街道)を水府より北上して那珂の台地から下り久慈川を渡り太田に向かふのだが太田の台地が前方に見えず何だか福島との県境の遠き山並がどん/\と近づいてきて「あれ?」と思つたら高速道路のやうに整備された静六の「梶山道路」でバイパスを走つてゐて危ふく太田をかはしてしまふところだつた。常陸太田は佐竹氏の城下町で茨城では日立市が戦後、日立製作所の勃興で賑はふまで県北の商業都市として賑はつてゐて茨城の小京都なんて呼ばれてもゐた古い街並が旧市街に残る。何だか明治期の文明開花の和洋折衷建築があると思つたら、これが公立の幼稚園なのであつた。

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母がお弔ひの間、その近くにある若宮八幡宮を参詣。足利幕府の応永の頃に佐竹義仁が鶴岡八幡宮から勧請して太田城内に祀つた佐竹氏の祈願所。常陸太田の市街にあつてこの静寂が素晴らしい。
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太田の市街には昔ながらの商家の建物が今でも商売をしてゐるのが大したもの。昔ながらの本屋だとか雑貨屋だとか。常陸太田といへば粽(ちまき)が馳名で何十年ぶりにそれを贖ふ。「なべや」は百年老店で粽や焼き菓子の他にきちんと上生菓子を誂へてゐるのが立派。今度ゆつくり、この小さな城下町を歩いてみたい。


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一旦、水府に戻り家人をピックアップして旧那珂町の田野倉に戻り最愛なる「だぼう」で昼に蕎麦をいたゞく。

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夕方、歯科治療。昨年の7月から19回の治療で一先ず在外30年できちんとケアできなかつた歯の当面の応急治療を済ます。K先生の、できるかぎり現存の歯を抜かない、削らないで大切にする治療で最低限の措置で見違へるやうに歯がきれいになりありがたいかぎり。アタシらの世代は小児科での薬が強かつたのか地元で同じ小児科に通つてゐた子らの歯がみんな見事に黄色く醜いもので永久歯になれば問題ないかと思はれたがそれも脆くて散々なものであつた。香港では歯科治療なんて散財の極みで歯痛がよつぽどひどいか銀のかぶせなど外れた時くらゐしか歯科治療しなかつたが、かうして恥ずかしくないやうにしてもらつた。水府にご縁のある方から五軒町の水戸芸術館近くの加藤歯科といふのでお勧めしておく。

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夕食で昨晩に続きさつま白波の明治の正中飲みきりで水餃子

久ヶ原T君より須永朝彦氏逝去と聞く。享年七十五。業平、定家から蕪村、鷗外、露伴に鏡花を経て足穂そして三島がゐて朝彦は現代に至る文人であつた。塚本邦雄澁澤龍彦中井英夫、春日井建、堂本正樹、郡司正勝。國義も逝き朝彦をめぐる人はもう睦郎さんとシモンさんくらゐか。朝彦で最初の頃はおそらく『幻想文学』誌で何か読んでゐたのだらう。新刊では『黄昏のウィーン』やペヨトル工房の『世紀末少年史』や『美少年日本史』国書刊行会など読んだが『歌舞伎ワンダーランド』もあつた。中世文学など詳しく印象的に古典的な文学者とかせめて澁澤くらゐの印象を勝手に抱いてゐたのだが写真を拝見して東映ニューフェイスのやうな、でニヒルを気取り、さらに澁澤撮影で「京屋も唖然」のタイトな革ジャン姿には驚いて言葉もなかつた。お会ひしたこともないがなぜか「同時代」を感じてしまふのは何故かしら。

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*1:元々は「港」の意味だが特に、中国本土と香港・マカオを結ぶ出入境審査場を指すことが多い。