ワクチン接種の順番待ちで小遣ひ銭稼ぎが出現と大公報。変種株感染が印漢と外傭(外国人家政婦)のグループによるものと断定され、その感染防止に躍起となる香港市役所。変種株は従前のウイルスに比べ症状悪化が見られるといふことで防疫は厳重。変種株感染者が特定された場合に無条件で、その集合住宅の住人は全員隔離ださうで隔離される場合の所持品リストまで公開されてゐる。日本とは雲泥の差。
県が政府に「蔓延防止等重点措置」の適用を国に要請してるなか不急?のイベント開催は何うなんでせう。理髪に行く途中、水戸芸術館を通つたら広場で常陸牛プロモーションのイベント開催(週末まで)。「感染予防措置を徹底の上で」が全国的に免罪符になつてゐる。テレビの報道も感染拡大を深刻に伝へて「さて、ナントカの花が見ごろになつてゐるドコドコでは感染予防措置を徹底してナニナニのイベントが開催され……」で「矛盾してね?」と思ふのだが。
お昼に水戸のソウルフードだといふスタミナラーメンを、その本家本元だといふ「松五郎」で食す。初松五郎で昨年春の帰国以来でもスタミナラーメンは初。11時半すぎに参つたが、もう行列。「店内撮影禁止」の張り紙がいたるところにあつて注文した料理も不可。高級寿司店のカウンターでスマホ撮影が店の雰囲気を損ねるから、なら撮影禁止もわかるがラーメン屋で、とは思ふ。オリジナルのラーメンで真似されるのを防止か、といふと同類のスタミナラーメンは水戸だけでも供するラーメン屋はかなりある。いろいろ考へたが撮影禁止の理由はスタミナラーメンが「インスタ映えしない」からではないかしら。誰が何う撮つても濃茶色の野菜とレバーの餡かけは美味さうに見えない。実際に食べれば独特の甘辛でクセになる食客は多いのだらうが。アタシのスタミナラーメン初体験は水戸の鳥見町にあつた京王グランドといふ映画館の建物外にへばりついたやうな「新々」といふ中華料理屋のスタミナラーメンで父の大好物であつた。ニラとニンニクが強烈で今の松五郎のものはずいぶんとマイルドに仕上がつてゐると思ふ。
感染対策は一向に改善の見られぬまゝそれでも改憲に向けた動きは着実に進む。改憲といふ行為が絶対にダメなんてことはないが改憲が目的化してゐて改憲の方向性が本来の憲法原理すらわからない連中が改憲を主導して国家が国民を縛るやうな憲法を作らうとしてゐる、それのイエスかノーの国民投票で権力側が改憲派で資金力もあり電通がついて、なのだから、その投票を有利にする今回の改正など前向きになれやうはずもない。
こんな状況でも株価上昇で「はぁ?」と思つたらNYダウ最高値を更新:朝日新聞 ださうで東京市場も「欧米で新型コロナウイルスのワクチン接種が進み経済活動が回復することへの期待から株式が買われた」のだといふ。感染対策もワクチン接種も進まない後進国なのに……なんてノーテンキなのかしら。「だめだ、こりゃ」である、まさに。
『風の谷のナウシカ』は映画も見てゐないし原作の漫画も読んでゐないので、この特集記事がいはんとするところもはつきりとわからないのだが映画はさておき漫画の方は宮崎駿といふ作家の独自の世界で更に面白いのだといふ。権力への絶望、ニヒリズム……まさにコロナ禍でダメな政治権力に呆れるばかりでは私らも共有するところ。
主人公ナウシカは命令を下さず、深い思索に裏打ちされた言葉で人々を励まし、導き、敵と味方、異なる生物との間を調停する。それは政治人類学者ピエール=クラストルが未開社会の分析で示した「王のいない社会」における、族長のあり方を連想させる。人間はどうしようもない愚かな生きものだが、時として崇高な自己犠牲も行う。ナウシカは人間の後者の面を体現する存在。周囲の人々もナウシカを愛し、自らの思いを託することで彼女を支えている。ナウシカの物語は、権力なき社会を構想するためのヒントに満ちている。(赤坂憲雄)
今の時代も「誰かに支配された方がいい」と人々が思い始めている気配を感じる。「中国は超管理社会だからコロナ対策をうまくやれた」という声もあった。だけど、管理された世界がいかに心地よくても、どこかで誰かが気づき、むかつき、自分の意思で生きようとする。人間というのはそういうもので、そこに希望を持って欲しい。(武宮惠子)
(コロナ下で読むナウシカ:下)自然との共生、突き抜けた境地:朝日新聞
人類全体が存続するためには、個々の人間や他の生命種がある程度犠牲になるのは仕方のがない」という考え方に対して、ナウシカは「人間を含め今を生きる個々の生命が輝くことが最も大切であり、それを追求した結果として、種としての人類が滅びたとしてもやむを得ない」という境地にまで突き抜けている。ナウシカのたどり着いた考えは一見、矛盾しているようだが、そこにこそ、この物語のえもいわれぬ深みがある。「すべての生命同士でお互いの生命を共有する」という究極のコミュニズムとも言えるだろう。ナウシカが示した「自然との共生」のビジョンを、絵空事に終わらせず、どのようにして学問的な真実へと落とし込んでいくか。それは自分自身にとっても切実な課題だ。(大澤真幸)
ここで指摘されてゐる「すべての生命同士でお互いの生命を共有する」といふ理念は有川先生の憲法解釈での基本的人権や自由の「公共の福祉」をさらに人間以外にまで拡大したものだらう。さういふ崇高な理念までわかつてゐる思想に対してベタな権力指向が改憲に挑まうとするのだから国民投票法改正が憂鬱なのだ。