富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2018-02-25

農暦正月十日。毎晩夜は九時すぎには寝台に臥せてしまひ読書のつもりがすぐ寝てしまふので朝は三時すぎには目覚めてしまふ。永平寺の坊さんのやう。今朝は五時からNHKのFM能楽堂宝生流の<兼平>を聴く。出先で仕事してゐると好天気。夕方ジムで運動したいが疲れきつてサウナだけ入る。サウナも体力消耗するもの。帰宅してお好み焼き頬張りながら韓国冬季五輪のスケートのエキシビション眺めるうちに睡魔に襲われ就寝。
▼昨日綴つた高麗屋のこと。それだけでも可笑しな話だが「中日過ぎるころからダメが減ってきて」と新白鸚の弁につき久が原T君曰く昭和63年のその5月の<吉野川>は高麗が播磨屋と大判官の初役を分けてをり中日からは播摩屋の大判事だから「中日過ぎるころからダメが減ってきて」のハズもなし、と。アタシが見たのは中日前といふこと。高麗屋も何たる勘違ひか山川静夫も気づかなかつたのかしら。播磨屋もこれについて先月このやうに語つてゐる(こちら)。

(六世中村)歌右衛門のおじ様の定高で大判事を勤めたのが最初(昭和63年5月歌舞伎座)。幸四郎の兄と中日交代の後半で、兄が初代の型で演じるだろうと思い、私は(二世尾上)松緑の叔父に頼んで教えていただきました。今回は秀山祭なので(初代のやり方を受け継いだ)実父の(初世松本)白鸚の型でさせていただきます」

(続き)昔は人をもてなすのは自宅なりプライベートな場所が基本だったのが、社会が豊かになって、もてなしの場が外に出て店になったことで、誰が誰をもてなすのか複雑になった。(銀座百点1月号より)