農暦十一月初十。晩に銅羅湾の居酒屋一番で十年程前に盛んに一緒に山をトレイルしてゐたO氏来港で酒を飲む。晩八時半にはお開きで早々に帰宅。十時には寝てしまふ。
▼週刊文春に水道橋博士が「芝浜」といふ題で書いてゐる。小朝師匠と今年の夏に新幹線で遭遇しての芸談なのだが談志について多くを語る。談志の話のベストは二つ目時代の「大工調べ」と藤浦敦が断言し山藤章二は談志が「芝浜」を演ると席を立つたと。石原慎太郎は談志の芝浜の歯切れの良さ「のみ」を褒め、その高座の時に同席した三木のり平は「なんで押しばっかりなのかね、引きがない、間がない」と言ひ放ち流石の談志も落ち込んだといふ。一方、談志も談志で志ん生の芝浜は酷評したといふ。それにつき「勿論、世評はありの上で観客それぞれの好みということが大前提ですよ」と小朝は大局的に論じてみせたと博士(アタシは小朝のかういふところが面白くないと思ふのだが)。小朝が談志から大久保の自宅で直接聞いたと披露するのが志ん朝に談志が「おまえ志ん生になっちゃえよ」と言つたところ志ん朝が談志に「それなら兄さん、口上に並んでくれる?」と訊き返され談志は「並んでやるかわりに、もっと落語、上手になれ」と志ん朝に言つてみせた、といふ話。いかにも談志らしい。そこで小朝が談志に「志ん朝師匠はどうしたらもっと上手くなるんですか?」と突っ込んだら談志は「俺だってわからねンだ!」と声を荒げたさうで。志ん生にも志ん朝にも所詮敵はないとわかつてゐる上で苦悩する談志。その談志が素敵だと思ふが談志独自の落語観、あの「業」に基づく「晩年のイリュージョン」は「落語から逃げているのではないかと思いました」と小朝。