農暦閏六月二十日。晴。熱中症対策ばかり騒がれるが暑い日に冷たいものを飲むと火照つた身体を冷やしてゐるやうで身体が冷へたぶん余計に外気を暑く感じないか。エジプトでアイスコーヒーがなく熱いコーヒーを飲むやうに熱い日にほんの少しの冷房で熱い茶を飲み団扇の風を愉しむ程度がちょうど良い。早晩に家人とFCCに行きメインダインで晩餐。久しぶりにビーフステーキ注文したが300gといふ量も何だが半分近く食べてギブアップ。それでもデザートは別腹。帰宅して早々に寝て夜中に目覚め夜明けまでで石川淳『至福千年』再読をやつと読了。後半話が大きくなるとやたら説明口調になる点は難。それでも江戸末期に御禁制の切支丹といふテーマで信教の崇高さよりも宗教の名の下に仲違ひ、権力、商機といつた人間の業や欲のどろどろしたところが面白い。しかも禁教の蘇生を侍や民衆ではなく乞食や非人、悪人の集団に求め、それを転化させて宮様を置くといふ発想。それは見事だが、とにかく権力欲が生臭い。
いかに宗門のおため、萬民のためとはいへ、地上にあらそひの火を焚きつけようとて、ひとを殺し財をやぶり、世間が惡と見るところをおこなつてはばからぬとは、使徒の道をつらぬく所以かどうか。かりにかりに千年會より免罪符を下されようとも、諸惡が罪にあたらぬてゃどういふことか。一度うたがひを生ずると、うたがひはあれこれと涯なく、みなわが身をくるしめるたねとなる。凡下のグチとお笑ひ下さるな。越し方行方をおもへばおもふほど、こころみだれて、日夜なやみもだえたをりに、たちまちわたくしの額を打つて、落ちかかつた一條の光は……われらがおんなるじとあふぐイエズスクリストス、おお、それよ。このおん方をひたすら念ずるほかに、この地上になにをおもひわづらふか。おそれながらクリストスのあそばされやうを、つなたき身に於ておもかげに眞似し奉ることこそ、わたくしにのこされた唯一の道と、堅くこころを決したのはこのときでございました。すると、たちまち目から鱗が落ちたやうに、これまでして來たことのかずかず、今してゐることの一切がむなしく、はかなく、またそらおそろしく、繪に描いた生死獄のけしきと見えて、こころはやれば矢も楯もなく、路用の金子はのこらずはたいてひとにほどこし、衣類持物もなげうつて、かげろふの身一つ、乞食同然のすがたとなつて……いや、さう氣がついたときには、わたしくしはすでに一箇の痩せさらばへた乞食として、京をあとに近江のみづうみのほとりに立つてをりました。
と江戸で更紗の一流職人であつた源佐(東井)が身を窶し乞食となつてのこの原理主義への回帰。どう考へても江戸で千年會起こし自らが権力得ようとした加茂内記の野望は利用しようとした民衆の幕末の混沌としたパワーのなかに埋没し、熱心な切支丹であつたが内記とは袂分かつた松師は信心よりも商才に長け新開地の横浜で幕末から明治にかけ商売を成功させる気配見せ信心も全てが幕末から御一新へのうねりに揉まれてゆく様をさすが夷齋先生面白く綴つたもの。
- 作者: 石川淳
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/08/16
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 73回
- この商品を含むブログ (24件) を見る