富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

久方ぶりの廣州

fookpaktsuen2017-07-08

農暦六月十五日。今日も雨。朝十時前に紅磡車站。何年ぶりかしら、で廣九鉄道で広州へ。客車の塗装が深緑色になつて初めて。10:52発予定が11時頃に発車。二時間半で広州。昼をまたぐ列車なので食堂車もあるが車内で次から次へと昼飯の販売あり唆られるが窓際の席で隣客を越してまで弁当買ふ意欲もなし。広州東站着。途中は少し空も明るかつたが広州は大雨。タクシーでソフィテル広州。天気さえ良ければ歩ける距離。フロントでAccorのプラチナは当直マネージャーデスクでチェックインらしく、さうするとプラチナのお客様ですのでクラブフロアへどうぞ、と。一番安い客室予約してゐたのに、それでも安宿サイトではなく直予約はメリットあり、とフロアラウンジへ。丁重にもてなされたが予約見当たらず須磨帆のアプリで確認すると予約入れてゐたのは今月朔日に開業の仏山のソフィテルで粗忽なところ「大丈夫ですよ」とスタッフは手際よく予約変更をしてくれた上にお部屋はクラブフロアで套間をご用意いたしますね、と。ありがたい。一人では勿体ない広さのスイートルームを持て余す。広州に来た用事済ませ雨の中、路地を歩く。もう15年ほど前のことだが当時は広州の夜といへば天河など今日も歩いてきた体育東路など本当に料理屋がどこも繁盛して賑やかだつたが今はだいぶ閑散。それでも街は随分と小綺麗になり天河も開発区だつたが開発も20年もすると随分と古い落ち着いた町並みに。なにより樹木が見事に育ち街の景観となつてゐる。お洒落な小さなアート系書店なども見事(出版される書籍は当然制限されてゐる中で、なのだが)。晩に天河北路の嘉逸国際酒店にある「孫三郎」といふ日本料理屋。香港に本店あり。このホテルの三階といへばかつて和服の女将が切り盛りしてゐた「武蔵」あり、こゝはその居抜き(孫三郎になる前は寿司匠といふ店であつたことが賄口の暖簾から判る)。店長の若者が日本語が本当に達者で尋ねたら仙台に留学してゐて国分町でバイトしてゐたといふ。二次会に行くといふ皆さんと別れ徒歩でホテルに還る。雨は歇む。歩いて私の足で30分ほど。雲の絶へ間に満月。今日は月もなしと思つてゐたところ予想外の月見となり深更に至る。
鶴見俊輔上坂冬子の『対談 異色昭和史』読む。何の書評だつたか兎に角面白いと褒めてゐたので読んだのだ、それほど面白くもない。どちらもキャラが立ちすぎで対談にならず勝手に喋つてゐる、それが面白いといへば面白いか。伊藤博文ハルビン駅構内で安重根に殺されたが伊藤博文は共産革命の起きたロシアに皇帝に謁見し友邦条約結ぶ目的の外遊の途中だつたこと。もしこの条約が実現してゐたら歴史は少しは違ふものになつてゐたか。いいだもも終戦後、水戸で日雇い労働者の共産党系の長屋にゐたといふこと。黒岩涙香中央公論深沢七郎の『風流夢譚』が事件となり『思想の科学』も天皇問題特集号を出したが発行元の中央公論が断裁し都留重人が再出版する段取りをつけたのが井村寿二といふ人で北陸で大丸(のちの大和)といふデパートの経営者で、この人が勁草書房の創業者。三島由紀夫のあの死に方を「たぶん年をとるのが嫌だったんでしょう」と鶴見。仙台の教育者・林竹二は亡くなつたのが1985年で多分最期に近い記念講義をアタシは聴講してゐる。





対論・異色昭和史 (PHP新書)

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