富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2017-04-09

農暦四月十三日。タクシー料金値上げ。初乗り24ドルに。三月から毎週末にかけ遊び惚けてゐたが今週末は官邸で書類整理の執務。官邸といへば晋三の官邸の劣化ぶりは何か。もともとレベルは低いが閣議で教科書のパン屋問題についての確認とは。呆れて言葉もなし。夕方、大坑道を歩き樂活道に入ると谷底から「うぉーっ」といふ轟音は7人制ラ式蹴球の大詰め。グループCでは強豪3チーム相手に全敗の日本は本日Shieldレベルでのトーナメント戦で韓国を破り威爾斯との決勝で残り1分で同点、ロスタイムで逆転で優勝。帰宅して啤酒飲みながら決勝を見る。南アフリカを0封でフィジー優勝。年寄りにとつては南アフリカチームが白人と黒人が一緒にプレーしてゐるだけで涙腺が緩む。
▼三谷太一郎『日本の近代とは何であったか 問題史的考察』(朝日新聞こちら)。

ヨーロッパのキリスト教にあたる「国家の機軸」は、日本近代では天皇に求められた。が、憲法に拘束される「立憲君主」の天皇が臣民の「精神的支配者」になっていいのか。明治憲法教育勅語の起草に関わった法制局長官・井上毅が悩んだのは、この点だった。
1890(明治23)年に発せられた教育勅語には、天皇の署名のあとに、内閣総理大臣以下の国務大臣の責任を示す署名(副署)がない。異例の形だ。「井上は、この勅語は政治上の命令とは異なる『天皇の著作』だ、という驚くべきフィクションを作り上げた」
こうして教育勅語は、憲法に縛られない「神聖不可侵」な天皇による、絶対的な規範となった。
「この形式こそ問題なのです。明治憲法と現行憲法では、天皇と国民の位置づけが全く違います。でも、天皇は自らの意思を直接伝えることができるのか、天皇の言葉に伴う責任は誰が負うのかは、今も直面する問題です」