富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2017-04-10

農暦四月十四日。未明に目覚め二度寝でいやな夢を見る。きまつて大学で一人、どうしても出ないといけない講義があるのに(単位を落とす)講義の教室もさっぱりわからず焦るばかりなのだが今回は更に郷里の父方の家が舞台でガルシア=マルケスのやうに奇想天外に叔母や従姉妹が登場し山の上の伏見神社みたいなところは酒と煙草を祀り賑やかだが、そこで参拝のあと靴が見つからずパニックに陥る。高温多湿。RTHKのRadio 4でジョナサン=ダグラス氏による“Morning Call”が本日で最後の放送。最後まで聞きたいが仕事へ。東京で人形町のS女史は今朝は出勤途中に田園都市線での人身事故で大幅な遅刻となりジョナサンの番組を最後まで須磨帆アプリで聴けたといふ。浦山しい。季節風がとても強い。晩にNHKのオンディマンドでミャンマー鉄道の旅を見る。ヤンゴン環状線、乗つてみたい。三陸鉄道で震災後の復旧で走つた「てをつなごう。」車両がミャンマーに現存。但し車体に描かれてゐたさまざまな人気キャラのイラストは本来なら並ぶはずのないものが震災復興ゆゑの大サービスで車両が三陸鉄道から引退後は元の塗装に戻され、その上でミャンマーへ。この車両が普通のディーゼル客車なのだがコンディションがいいことでミャンマーでは大臣など鉄道旅行の際の特別車両として運用とは。矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」(集英社インターナショナル)読む。原発廃止がなぜできないか、は誰かが動かさうとしてゐるからだが、この本ではその主犯探しはされてゐない。なぜ止められないかは原子力利用政策は原子「核」の問題で(発電も含んでしまふが)国家の安全保障に関はる政策であり、さうなると住民訴訟しても裁判所は統治行為論を用ゐてでも判断を避ける。だから原発ゼロといつた政党が政権をとり国の政策として実行でもしないかぎり無理なのだが、さうすると今度はさういふ政権を潰すための力が働くのは当然。安全保障や憲法問題はさらに複雑で、これまで憲法は米国押し付けか自主憲法制定か、平和のための護憲か改憲か、で議論されてきたが、著者はそもそもそれがナンセンスだといふ。ポツダム宣言受諾で戦後の日本始まつたこと、その前に連合国側は英米大西洋憲章英米共同宣言)やヤルタ会談などあつたことだけ知つてゐるが1941年の大西洋憲章は8月14日で、つまり日本がポツダム宣言受諾の4年前、当時、英国はドイツの攻撃に劣勢で米国は日米開戦前、その時にすでに戦後世界の構築が始まり翌年には米英にソ連中華民国が加はり(後にフランスも)連合国共同宣言締結。それがドイツ敗戦のあと日本の降伏待つ1945年6月に連合国憲章でき、これが戦後の国連に繋がるのだが(当然、著者の指摘するやうに連合国=国連だが日本は意図的にUnited Nationsを戦争中の連合国と戦後の国連に分ける)、この共同宣言と懸賞の間にはダンバートンオークス提案といふものがあり、大西洋懸賞以来の平和維持、脅威の排除に加へ戦力放棄まで提唱されたが、それが連合国憲章では「集団的自衛権」といつた概念生まれ連合国中心とした平和主義は安保常任理事国による戦争に関する法的権利の独占へと変容。その連合国では意識の低くなつてしまつた平和主義や戦力放棄が日本国憲法に活かされることになるが、一般的には敗戦後、日本政府は帝国憲法の改定目指したが進駐軍が日本側の改革の未徹底に呆れて新憲法草案の押し付けとなつたといふが著者はマッカーサー進駐軍天皇を利用した戦後日本の建設望み、極東委員会が設置され東京裁判が始まる前に天皇を戦犯にせず戦後体制の確立を急ぎ、それで早急に天皇の体制維持(新しい國體)に基づく新憲法起草を急いだ、といふ。宮中も天皇ソ連参戦でポツダム宣言受諾決めたやうに赤化を何より恐れ米国に頼る政治的判断を見せ両者の意図合致してできたのが戦後体制。米軍が今日まで日本の制空権、道路の優先使用から沖縄の基地まで日本の国内法や日本政府の権力すら超越し何事もできるのは、その戦後体制によるもの。極端な話、日本が安法反対、米軍基地撤去を力づくで求めたら米国は軍事的に日本を統制する権利を今も有する、と。沖縄がいくら米軍基地に反対しようと日本であるかぎり知事や県民の強い意志でそれを排除できぬ(独立しかない)。日本の全てが国家権力を超えた米国の力でカバーされ天皇制も然り。今上様が憲法尊重も左派リベラル的には平和主義的護憲のお立場だが、そも/\戦後の國體が米国による決定で、その憲法なのであるから、それを尊重は当然といふことになる。

オレ様化する人たち あなたの隣の傲慢症候群』の著者、精神科医の片田珠美さんは(飲食店で傲慢な態度をとる)こうした“過激な人々”を「ヒュブリス・シンドローム(傲慢症候群)」と呼んでいる。その特徴は(1)自己愛が強い(2)自己顕示欲が強い(3)自己正当化する(4)現実否認(5)気が小さい(6)序列に敏感……など。気が小さいから、自らの不安、動揺を隠そうと傲慢に振る舞うのだろう。実は「もしかして」と心配していることがある。甚だ失礼ではあるが、昨今の安倍晋三首相に「何か」を感じている。例の「森友騒動」が起こって以来、安倍さんはなぜか居丈高。「私や妻は一切関わっていない。もし関わっていたら間違いなく、首相も国会議員も辞任するということを、はっきり申し上げる」とまで言い切る。もともと、頑固一徹の性格かもしれないが、それにしても、メディアを、野党を、(追い詰められたはずの)籠池泰典森友学園前理事長を、つまり「世間」を甘く見ているのではあるまいか?当方(己の傲慢を棚に上げての感想だが)、つい「首相の判断力」に不安を募らせてしまう。安倍さん、裸の王様でなければ良いのだが。晋三が完ぺきな大政治家だとは思つてゐない、御曹司ではあるが三流大学出で対して頭もよくない、弱いところもある、だが「それでも立派に頑張っている」姿に自分の何かを投影してしまふ民草も少なくないのか。英国のEU離脱決定の時にアタシが真っ先に気になつたのは「ジブラルタルはどうする?」だつた。