富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

アッキー来港

fookpaktsuen2016-10-14

農暦九月十四日。日本秋祭in香港といふ一連のイベント始まる(こちら)。香港だけでなく各地であるやうでイメージ的にはLe French May(こちら)なのでせう。今日がその公式の開幕式@交易廣場で日本からのサプライズゲストが首相夫人アッキー。午前中には日本人学校訪問された由。夕方からPMQ(元創坊)にて「縁日」始まり平日の夕方だといふのに、とんでもない人出は「くまモン」登場ゆゑ。この場で神輿の披露あり。東京から篤志家の方が香港経由で華南で商売させて貰つたのでと香港の邦人社会に、と神輿を寄贈。日本橋の会社経営者の方だが自ら神職の資格も取られてゐて、このPMQで入魂式。日本の神道といふと戦争中の皇民化で香港にも神社建立され日本による侵略の象徴のはずだが神輿は日本の祭りでよく紹介されるし神主により祝詞が報じられ周囲の観衆が神妙な面持ちで首を垂れお祓ひを受けてゐる。その儀式終はつたタイミングでアッキー登場。旦那は中国圏で不人気だが夫人の個性は新聞等で紹介されてをり違和感なし。香港政府側はキャリー林鄭月娥(政務司長)。そこまで見届けて帰宅。
▼タイのプーミポンアドゥンラヤデート国王崩御。タイの象徴としての国王。その威信は絶大なるものだつたが、それが伝統的でもなく 「戦後の体制」であることの不思議。1927年に生まれたのは米国で大学までをスイスで過ごした王子様。それが国王となり今日に至るところを日経の記事(こちら)がよくまとめてゐる。

ちょうど70年前の1946年、弱冠18歳で即位に至った経緯は、当時のタイ国王の地位のはかなさを映し出していた。
1782年に内乱を治めたチャオプラヤ・チャクリーが「ラマ1世」を名乗ったのが今に続く王朝の起源だ。国王は絶対君主として君臨したが、1932年の立憲革命を境に存在感が薄まる。プミポン国王の兄、アナンタマヒドン国王(ラマ8世)は宮殿の寝室で額を撃ち抜かれ、20歳の生涯を閉じた。タイ現代史最大の謎とされ、戦後混乱期の権力闘争が背景にあった可能性がある。その後を継いだプミポン国王は、政治との間合いを慎重に推し量ったはずだ。
この若く思慮深い国王に着目したのが、60年前後に政権を担った軍出身のサリット首相だ。インドシナ紛争など東南アジアの政治状況が混迷を深めるなかで「タイ式民主主義=国王を元首とする民主主義」を提唱し、弱体化した国王・王室の威信回復に取り組んだ。
国家統合の象徴として利用する軍の思惑を国王も積極的に受け入れた。地方行幸で国民と交わりつつ、多くの地域開発に財を投じた。自らサックスを演奏し、ヨットの国際大会でも活躍する洗練されたイメージと相まって、国民に熱狂的に受け入れられていった。タイの家庭や企業では国王の写真や肖像画を掲げるのが当たり前となった。
権力はあるが権威に乏しい軍とその逆の国王の二人三脚は、東西冷戦下の共産主義勢力の伸長を阻み、今の「タイ王国」の骨格をつくった。(略)
問題は圧倒的権威が国王個人に属した点だ。王位は継承できても、権威や国民からの敬愛は簡単に引き継げない。国王の死は国家の難局で国民がすがる「安定の柱」が失われたことを意味する。

ラマ8世の死は日本軍の軍人も絡む説もあり未だに謎ばかりだが9世(プミポン国王)とて兄(8世)の急死の後もスイスに留まり帰国は1952年。ローザンヌ大学での学業修めるためといふが1946年の兄の死から6年で「戦後のタイ」のお膳立てが出来て、の帰国か。それは周囲の国々が赤化するなか立憲君主制を維持して米国の地域拠点としての存在。曼谷にある米国大使館の広大な敷地と規模を見ればわかるところ。それにしても国王自身の人柄もあらうが、戦後の数十年でだうしてあそこまでの国王崇拝がタイ国民に広がつたのか、それは明治の天皇制も及ばぬほどの徹底で、これが不思議。ブッダのやうに崇められたのは事実だが戦前にそんな王室崇拝などなかつたのだから。誰かが(って電通じゃないから米国か)何かの策略によるもので、それが見事に成功。だが戦後のその役割は見事に貫徹されたが限界を超へたのも事実。The Eonomist誌のObituary(こちら)曰く

Thailand’s ruling classes, led by its meddling army, resisted, then gave up the battle. Adoration of the monarchy was useful in the escalating fight against communism. America helped plaster the countryside with posters and billboards bearing the king’s image.