農暦五月廿八日。夜明けに目覚め一通り新聞など読んで午前七時すぎの朝食。オムレツに香檳酒。朝寝貪る。Restaurante Litoralは観光客多いが地元の食評でも伝統的な澳葡料理供すると評判で一度試しにと昼の開店に合はせ訪れる。ワインが高値。烏賊のサラダとRabo de Boi Guisado c/vihno tinto(オックステールの赤葡萄酒煮込み)を二人でシェア。昔は行列が出来てゐたが香港は連休の週末だといふのに昼の営業はテーブルも2回転難しいくらゐ。炎天下、食堂多い下環街を建物の軒を縫ふやうに歩き路地を抜け最香餅家。こゝの今でも手造りの杏仁餅は美味だが猛暑に炭火で焼くのだから大変な作業。新填巷で評判の葡萄牙産の魚の缶詰賣る店が色鮮やかな缶詰の包装が美しい。家人と別れ宿に戻り午睡。宿のラウンジのハッピーアワーで香檳酒。日が暮れるを待ち出街。十月初五日街から路線バスで細道を抜け三盞燈の方に向かふ。高士徳大馬路に「到富」といふ路面は文具、楼上は玩具と運動具の小売店あり品数の充実特筆すべきものあり。ピンセット贖ふ。香馨緬甸餐廳に行つたら晩8時で閉店。三盞燈のロータリーに面した、緬甸語の看板出てゐる成群小食店といふ店で椰汁咖喱鶏湯麺と緬甸冷麺を啜る。晩の片付け続く市場街を漫ろ歩き宿に還る。ジャグジーに浸かる。早寝。寝てばかりの一日。
▼バングラデシュの首都ダッカでの無差別テロで死者20人、内7名が日本人。晋三は北海道遊説取りやめ。官邸で国家安全保障会議(NSC)開催。狙はれた飲食店に日本人がゐて犠牲になつたが日本といふ国家が標的にされ安全が脅かされたわけでもないのに。「親日的な国で信じられない」といふが犯行グループにとつてバングラデシュが全般的に親日的かどうか、も関係ないし、この飲食店に日本人がゐようがゐまひが関係ないこと。新潟での選挙応援から戻つた官房長官も犠牲となつた日本人を遣つた企業もバングラデシュの発展に寄与する中で「痛恨の極み」といふがJICAも国益であり参与の企業もビジネスであつて無私の援助活動に非ず犯行者らにとつては異教徒の破廉恥な開発経済に「神の裁きを」となる。この犯行のあとイスラム国もアルカイダも挙つて犯行声明といふのが何とも、そこも組織の理論。かうした「テロの脅威の拡大」が扇情的に語られるが十字軍の中世の昔も同じやうな騒動繰返されてきたこと。
▼週間読書人(6月17日号)で金守珍(新宿梁山泊)と西堂行人の追悼蜷川幸雄の対談読む。蜷川の追悼で弔辞が平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎、小栗旬、藤原竜也といふ五人の「人気タレント」に見送られる形になつたことは蜷川が「怒れる父親像」に収斂されたもので、蜷川のもっと凄い野望を考へれば、もっと別の送別の仕方があつたのではないか、と西堂が弔辞を聞きたかつた、とするのが唐十郎、石原蓮司と新宿アートシアター時代の同志である清水邦夫。
「世界のニナガワ」という言葉、僕ははっきり言うと、あまり好きじゃないんです。権威づけていて安っぽい気がする。蜷川さんはそんな言葉で自分の仕事を括られるのを好まなかったと思うし恥ずかしかったんじゃないか。(略)世界中で蜷川幸雄の名前が知られているかというと、ちょっと誇大な言い回しのような気がする。この言葉は自分たちで発して自分たちで信じ込んで恰も客観的に言われているかのように思っているだけで、そもそも国内向けのキャッチコピーだと思う。少なくとも世界的なレベルでの発送ではない。