農暦二月十三日。朝六時に陋宅を発ちタクシーで中環站。小雨。エアポートエクスプレスで空港。雨は本降り。CX901便で一路比律賓のマニラ。フィリピンは実に11年ぶり。2004年の冬、すでに病状悪化してゐた先孝見合ふと「暖かいところに行きたい」とぽつり。夏までもつかどうかと医者に言われてゐたが「年が明けたら母も一緒に暖かい海に近いリゾートにでも行こう」と声をかけ旧正月だかにセブ行き手配したものゝ母から「もう旅行どころの体調ではない」と連絡あり亡くなつたのが2005年の春。先考の病状心配しながらもホテルもフライトも予約してゐたのでセブに赴いて以来。マニラの空港はAmanpuloに遊び空港敷地内の専用ラウンジから小型機でフィリピン西端のパラワン島の北東、カラミアン諸島のパマリカン島=アマンプロの往復で来て以来、それがいつだつたか、考へてみるとアタシたちの泊まる一ヶ月前だかにダイアナ妃がお忍びで来てゐたと聞き、妃の事故死が1997年であるから間違ひなくその前だと20年くらゐ前のことになる。復路ではマニラの夕日が見たい、とマニラホテルに宿泊だつたはず。マニラのニノイ=アキノ空港は第三ターミナルは新しく機能的。もうすぐ復活祭で香港から帰省のフィリピン人が多いからか機内持ち込みも預け荷物もまぁ多いこと。本当なら15時発の今ではフィリピン代表するLCCで国内線大手のセブ=パシフィック航空機(セブエアー)でレイテ島のタクロバンに飛ぶ予定だつたが二週間ほど前に携帯に電話ありフライトが17時に変更になるが良いか?と確認あり。フライトの取消しも出来るといふが選択の余地なし。CXとセブエアーが同じ第3ターミナルなのは有難い。空港のターミナルは今は第4まであるが移動が非常に不便でターミナル間を回るバスは30分に1本だとか、タクシーも空港のクーポンタクシーはいくらでもあるがメータータクシーは長蛇の列。まだ出発時間まで4時間以上あるがセブエアーの国内線カウンターに行つてみると4時間前の午後1時からチェックインできるといふので暫く時間を潰してチェックイン済ます。無料の手荷物は1つで7kgまで、チェックインの際に手荷物まで重量計られる。機内預けは1つ目から有料で15kgまででもP500となるが事前にネットで支払ふと、これがP200にまで安くなると知つて昨日のうちに旅荷拵へ7kgほどなので15kgでネット決済しておく。それでも往復で荷物料金は1,000円もせず、それでもこの薄利は塵も積もれば山となるでLCCにとつては大切な収入源か。午後5時のフライトまで時間があるのでEDSAまで出て何年前に出来たのかしらMRTの3号線で一駅乗ればフィリピン国鉄に交わるので、30分に1本走るといふ日本から払ひ受けたローカル列車に乗り北上してマニラ市街の北からMRTで市街眺めつゝEDSAから空港に戻れゝば、なんて算段してゐたが空港からEDSAのTramoとの間を結ぶシャトルバスが空港を出ると渋滞で気温32度だかで強烈な日差しのなか冷房のあまり効かぬバスで狭い座席に隣席の乗客の二の腕から汗ばむシャツ越しに体温まで感じつゝ1時間かけてEDSAに着く。バスターミナル(Tramo)がありミニバスが路上で客待ちするので年中渋滞。物売りや酷い乞食が物乞ひする歩道橋からMRT3のTaft Ave站に上がると改札口といふか切符買ひ求める客の数と長蛇の列に目眩するほど。こりゃダメだとあきらめマニラ市内北上するMRT1のEDSA站に行くとこちらは混雑こそしてゐないが、これで往復して亦た渋滞のなか空港まで戻ること考へると時間に余裕もない。これもあきらめ小さな商場の食堂で簡単な遅めの昼食済ませTramoからシャトルバスで空港に戻る。空港ターミナルまでの距離は3kmほどで30分かゝるから歩いたほうが早いくらゐだが気温30度の炎天下で自動車の排ガスで歩道などぐちゃぐちゃを歩く気もせず。空港の荷物検査ゲートの先で搭乗時間まで30分ほどあるので珈琲でも飲もうと思つたら何軒か並ぶカフェのなかにティファニーのやうな青い看板。もしや?と思へば1月に六本木で頬張つて以来のシナボンではないか。少し甘め抑へたシナボンロールと珈琲。タクロバン行きのセブエアーは16:30の搭乗予定時間だが途中でカウンターのセブエアー職員が退いたと思つたらフィリピン航空国内線の職員がタクロバン行きの乗客率ゐて現れ占拠。今更この程度の混乱では驚きもせぬが20分ほど、この搭乗手続きが続き、そのあとセブエアーのタクロバン行きなのか、と思つてゐたらセブエアーの看板からタクロバン行きの案内板が外され、行き先表示板といへばあゝ上野駅だが今どき案内板とは!(ゲートの電光表示板は作動してをらず)。どうやらゲート変更のやうでネットの空港案内で見たら別のゲートがアサインされてゐるから、そちらに向かふと後からセブエアーの職員がその掲示板を携へ乗客引き連れて移動してくるなり予定されてゐた別の便の搭乗手続きに割り込み、それ差し置いて搭乗手続き開始。バスに乗せられ飛行機へ。まぁ想定内だが、この混乱でも乗客がちゃんと対応して搭乗が済むのだから優柔不断さは大したもの。離陸したあとマニラ市街の夜景が見事。ロハス通りの渋滞する自動車のライトが光の帯。LCCなので飲み物や軽食の機内販売始まる。フライトが遅れた所為でサンドヰツチなどそれなりに売れる。出発遅延=機内販売増で遅延はLCCなりの策略か……まさか、なんて思ふが機長のアナウンスでは「空港管制の混乱で出発が遅れ……」。LCCといふと機内でのサービスなど皆無と思はれがちだがセブエアーの美男美女のアテンダントは皆さん笑顔で親切。機内販売一段落するとアテンダントが前に並びマイクを持ち何かと思へば航空会社の紹介や挙手でのアンケートや旅行先クイズなど実施し正解者に賞品提供でかなり盛り上げる。大したもの。本当に立派。一時間ほどで闇のなかタクロバンに到着。飛行機を降りると見事な十三夜の月。空港は昔のどこのローカル線の寂れた驛舎のやう。預け荷物を受け取らうと待つてゐると荷運びの男たちが並び一斉に“Welcome to Tacloban!”とAll Blacksのやうな勝鬨と踊りで客を迎へる。薄暗い出口に客待ちの人だかり。暗くて顔も見えず白タクの運転手がしつこく客を漁るなか2013年より隠居でフィリピン居住決め込んだA氏の出迎へ受ける。A氏細君Eの兄Dの運転するA氏の車でタクロバン郊外のA氏宅。瀟洒な二階屋だがコンドミニアムに新築して半年ぼどで2013年の記録的大型台風の高潮に襲われ躯体残し半壊でA氏夫妻は屋根も飛んだ二階に逃げ朝まで待ち助けを得たほど。その家は躯体は残つたので幸いだが周囲の粗末な家々は流され跡形もなし。そこの修復が済み庭にはマリア様が祠に祀られ台風の犠牲になつた方々を慰めてゐる。細君は南レイテの地元に帰省中だといふので仲違ひでもしたのか、と思へば今年5月に大統領から地方議会までの総選挙だが最近が地元のCouncilのアキノ大統領率ゐる黄党の議員団の一員(比例代表制の一種)として立候補してゐるのだといふ。その選挙活動あり実家に帰つてをり細君の姪にあたるお嬢さんのSがA氏宅の家事手伝ひで、なか/\美味なステーキや茄子の炒め物供してくれ、それを肴にサンミゲルと豪州産のホワイトワイン飲み杯を重ねつゝA氏と夜半まで四方山話。