富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三里塚に生きる

fookpaktsuen2015-04-03

農暦二月十五日。耶蘇受難日で休日。毎日が受難のやうな私は今日も昼過ぎまで官邸で書類整理。午後旺角。MOKOの映画館でベトナムのPhan Đăng Di監督の映画“Cha và con và”見る。ベルリン映画祭の紹介(こちら)。サイゴンで写真を学ぶ学生のVuが同じ貸間住まひの麻薬売りや売春仲介など生業にするあまりに男性的でストレートな青年Thangを恋する。都会の喧騒のなかで仲間の流しのギター弾きが町のチンピラに狙はれ、それを救出した仲間たちはVuの実家であるメコンデルタの田舎に逃れ、そこでぼんやりと過ごす日々。Vuをどうにか普通の男にしたい父が女性当てがひThangとその女性が懇ろになり、じれったいVuは……と、いふお話。サイゴンの下町、メコンデルタの水と泥の世界の描写はお見事。ただエンディングがちょっと「これかよ」な感じ。九龍站。圓方。Z嬢と何度目か成瀬巳喜男監督の『浮雲』見る。見るたびに何かしらの発見あり。川本三郎の新著『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)について朝日の書評で萱野稔人

女性を主人公とした恋愛映画を数多くつくりながらも決してメロドラマにはおちいらなかった。号泣や絶叫、大仰な悲しみといった、メロドラマにありがちな誇張された演出を排し、熱演しようとする役者をおさえて、できるだけ静かに演技をさせた。芸者を主人公にする場合も、そこで描かれるのは華やかな生活ではなく、金策に腐心したり、落ちぶれた昔の男に金を無心されたりする芸者の姿である。

と書いてゐる。その通りだが「浮雲」の高峰秀子の場合はまだ芝居が上手ぢゃないので「熱演しようとする役者を抑えて」は例外か。それにしても何度見てもなぜ高峰扮する雪子やおせいちゃん等女性たちが森雅之扮する富岡にあれほど惚れ込むのか、が私には理解できず。二枚目かも知れぬが、ただのダメ男で、それに母性本能が擽られるのかしら。映画のラストシーンになる屋久島って当時の日本にとって「国境」の最果ての南の島。鹿児島から種子島方面へと向かふ船があれほど「別れ」の空間だつたとは。船出で湾からのアングルで映る昭和20年代末の鹿児島市街の光景でまだ低層の建物の中に一つだけ白亜の高層ビルがあるが、あれは山形屋デパートかしら。何度見ても完成度高き名作。Z嬢と圓方のなかでPret A Manger(プレタマンジェ)で軽く夕餉。続けて一人でドキュメンタリー映画三里塚に生きる』見る。小川プロダクションによる一連の成田闘争ドキュメンタリーは学生の頃に見てゐるが(今回も上映あり)この作品は小川紳介監督の下で撮影手がけた大御所・大津幸四郎が監督・撮影。代島治彦が共同監督。三里塚の半世紀前からの映像を混じえ今も三里塚に暮らす農民の姿。闘争で息子が自殺に追ひやられたS刀自、闘争を止めることなくと書かれた遺言に人生を捧げるかのやうに運動が社会的には下火になつた今も抗議活動続ける郷土民の姿。驚いたのは今でも千葉県警の公安が、熱田派に属し今でも空港近くで畑作をする農民Yさんを日に数回見張りにくること。この還暦過ぎのY氏が一人で空港妨害テロなど起こすはずもないのに。それにしても私が不思議なのは現実問題として空輸増大で「羽田拡張が不可能だから」といふ前提で成田空港建設となつて、あれだけの犠牲払つて成田空港出来たのに近年の羽田拡張、成田の地盤沈下は何なのかしら。羽田があんなに拡張できたとは。S刀自が映画の最後、息子の墓の前で昔隣家の娘だつた女性に再会しての昔話で「ここは皇室の御料地があったから、御料地がなければ」と言及。さうなのだ。この映画にざっと三百人ほどの観客。当時の成田闘争など知らない世代の若者多し。私の世代なら高校の校門前で近くの国立大の新左翼の学生が「週末には三里塚での学習会に高校生も参加を!」と情宣のビラ配り。現社担任のT先生もヘルメットで顔にタオル巻いてゐて学生に混じって生徒をオルグ。同級生の中にも「組合活動の専従になりたい」と進学せず国鉄に入社する奴がゐたりした。それも日本で当時の世相。それが今で海外だと思ふと香港の若者の政治、社会への関心の高さは見上げたもの。
▼「イラク戦争とは何だったのか。それを考えると自衛隊派遣は行き過ぎだった」と山崎拓先生(朝日新聞)。米国がイラクには大量破壊兵器があると言ひ「私たちはその主張を鵜呑み」にしたが「結果論から言えば大量破壊兵器あると信じたのは間違い」と明言。

イラク戦争という力の裁きの結果「イスラム国」という鬼子が生まれたとも言えます。私は今、当時の判断に対する歴史の審判を受けているように思える。ISの製造者責任は米国であり、間接的責任は小泉首相にも私にもあると言えるからです。

と山崎先生よくぞ言つた。だがイラク大量破壊兵器があるといふのは当時から信憑性疑はれてゐたことで米国のイラク征伐の口実に過ぎぬと私だつて考えてゐたこと。それを国政動かす大政治家がわからないとしたら誤謬どころか稚拙すぎ。山崎先生は晋三の積極的「平和」主義、安保法制見直し、集団的自衛権に戦後の日本の平和主義からの方向転換と非難する……だが晋三を首相にしたのは自民党であり、それが破壊兵器だとしたら晋三を官房副長官に任命して煽てた小泉三世にも、その盟友・山崎先生にも製造者責任あり。