富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

文弥・アリラン

fookpaktsuen2014-09-13

農暦八月二十日。未明に目覚めて新聞読んでゐると夜明け、朝焼けのまぁきれいだこと。小一時間、海岸沿ひ走る。啓徳碼頭から獅子山を望む。週日は何かと急な仕事入り九月も中旬なのに夏休みの宿題終つてをらず官邸で一仕事。帰宅して早酒。文弥師匠で「明烏」や「鶴女房」聴く。女将さんの宮染師匠の三味線がこれまた柔らかくて素敵。なぜ突然に文哉を聞いたか、といへば昨今の従軍慰安婦についての論争のなかで思ひ出したのが文弥師匠の「文弥・アリラン」だつたから。文弥は「赤い新内」と云はれたりもした社会派で戦前は無産運動支持するやうな語りで警察も監視、戦後も社会派癪品多く晩年のさうした新作の一つが「文弥・アリラン」。なぜ文弥が慰安婦を題材にしたのか。昔どこで読んだか、文弥師匠が戦前に朝鮮の芸妓から彼の地の艶歌も聞いてゐた、といふやうな話もあつたので、慰安婦の話も当時の聞き語りか。アタシが「文弥・アリラン」知つたのは三十年ほど前にNHKだつたか「至芸の時」といふ永六輔の番組で谷中に文弥師匠尋ねた六輔が「文弥・アリラン」に言及して、その新作も番組内で披露。映像がネット上にあり、あらためて確認するとこの映像が何年のものかはわからないが文哉師匠が「今年白寿」つまり1994年、「文弥・アリラン」は「数年前に新聞で読んで、こんなことがあったのか」と憤り感じ……の新作。つまり1991年に始まつた朝日新聞慰安婦記事に触発され、といふことか。となると「強制」がテーマになつてゐるのかしら、と思つて聞き直すと、

わたしは、1940年、16歳のとき、朝鮮の学校で、担任の日本人教師に付き添われ警察に行きました。警察官に乱暴されたうえ、九州の慰安所に送られました。そこで憲兵に、上からの命令だ、命令にそむくと殺されると脅され、犯されて、慰安婦にさせられました。そして、数知らぬ多くの日本兵に身体も心もボロボロにされ、わたしの一生は台なしにされました。いまは、もう結婚もでんきない、子どももうめない。誰のおかげです。誰のおかげで、わたしはこんなみじめなことになったのでしょう。憎い、悔しい、憎い、悔しい。
アリランアリラン、アラリヨー

といふ語り。「女子挺身隊」との混同があつたのか、しかも、この筋は人身売買強どころか制連行で、しかも学校の教師と警察がグルになつての仕業といふ筋。朝日の慰安婦報道の誤謬から端を発して岡本文弥といふ新内の大名人の功績今更問い直す云々は要らぬと思ふが(どんな事情で、かは別にして従軍慰安婦になつた、ならせられた女性たちはゐたのだから「強制」の有無で揉み消される話ではない)かうなるとやはり新内は花魁を好いた惚れた、いずれ菖蒲か杜若の世界でいゝやうな気がする。「文弥・アリラン」については邦楽の楽曲としての分析についてはこちらの論文が興味深い。晩に鯵を焼き乾酪や豆で白ワイン飲む。Z嬢がイメージで書くVasse Felixの鳥のロゴに笑ふ。
▼なぜデモをするのか?といふ問ひに「自分たちが暮らしてきた、日本社会が好きだからです。安倍さんが言う「戦後レジームからの脱却」は、要は革命。私たちは、そんな安倍さんから、戦後日本の民主主義を保守したい」と官邸デモなど積極的に主宰する高橋若木さん(朝日新聞「デモと民主主義」本日の朝刊インタビュー)。李怡さんは今日の蘋論で「立會否決,罷課,抗爭,不是因為我們相信有效,而是要表示我們對極權主義的不服從」と。
▼蘇格蘭独立問題。反サッチャー。蘇格蘭での英国保守党への反感は同地区選出の国会議員59人のうち与党保守党はたつたの1人。サッチャーが首相になつた1979年当時は22人。蘇格蘭独立に保守党のマイナス影響は大。