富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

春子になる

fookpaktsuen2013-11-11

農暦十月初九。小雨。フィリピン襲つた巨大台風。レイテ島、殊にタクロバン市壊滅的被害あり。タクロバン在住のA氏安否気遣ひ昨夕より何人か連絡貰ふが携帯通じるわけもなくメールなど論外。案じてゐたが今朝A氏より電話あり。一昨日の台風の被害想像絶するほどで自宅にも大雨の水害なのか大波なのか一気に濁流が流れ込み家財道具は水に浮き立ち泳ぎで二階に避難で夫妻とも怪我もなく済んだは幸ひ。市街からは離れた高級コンドミニアムの暮らしで水が退いても自宅は流れ込んだ瓦礫などで生活も出来ず市街壊滅で水や食料の確保も難あり。タクロバンから普段なら自動車で2時間ほど離れた実家の地区は台風被害あまりなく、そちらに避難決め昨晩タクロバン発ち8時間かけて今朝、その村に到着、と。携帯電話もなくなつたが自宅の瓦礫のなかにセカンドバック見つかり、そのなかに昔の電話番号簿あり香港のこちらの連絡先辛うじて解つたが親族の電話番号すらふだんは携帯に登録でわからず取りあえず、で連絡くれた由。台風被害のあと親族とも連絡とれず、と先ずは安否気遣ふご子息への一報、それに台風接近の際にマニラの大使館から注意喚起の電話連絡あり、台風直撃後は一切連絡とれてをらず消息不明となつてゐるはずなので大使館にも一報を、と。取り急ぎそれを済ます。それにしても独逸などの緊急支援対応の迅速さに比べ今日になつて漸く自衛隊派遣など検討の日本の対応の遅さ。本来、地震や災害大国でレスキュー経験などからして東アジアの地域的大国として72時間なりのタイムリミットでの即時対応こそ求められるべきところ。晋三が九日(土)晩20時すぎ富ヶ谷の自宅に戻り翌日は在宅、夕方に祖父岸信介首相の秘書だつた松岡老人の訪問あつただけで終日自宅、だなんて。本来であれば官邸でフィリピン対応の陣頭指揮してもいゝのに……土曜晩から日曜に本当に富ヶ谷自宅にゐたのかしら。ちなみに昭恵夫人はガイジンの知己来日で関西旅行中で不在。(閑話休題)アタシが映画を見て映画館出て来ると歩き方がすつかり主人公になつてゐるとか、それがハンフリー=ボガードならいゝがアタシが困るのは杉村春子を見たあとは仕草、台詞がすつかり春子になつちまふこと。気をつけてゐないと、昼間、仕事してゐて兄(笠智衆)が監査役する銀行ちょっくら訪れた妹の重子になつてゐるから注意しないと。仕事に忙殺され晩遅く帰宅してハヤシライス飰す。
▼ポール=マッカートニー来日。今回は大麻所持なし、か。「スネークマンショー」思ひ出して一人笑ひ。関西空港で妻と一緒に今様ではあるが法被羽織つて登場には眼からウロコ。今でもこれかよ。
▼昨日の都新聞の「筆洗」のゴジラの話。秀逸なので無断転載。

東京・有楽町にあるゴジラ像のプレートにこんな言葉が刻まれている。「このゴジラが最後の一匹だとは思えない」▼映画「ゴジラ」が封切られたのは一九五四(昭和二十九)年十一月のことだった。怪物が都市を破壊する映画は大当たりした。生誕六十年の来年には米ハリウッド版の新作公開も予定されている。世界の「ゴジラ」である▼怪物は、水爆実験によって出現する。公開と同じ年の三月、ビキニ環礁で水爆実験の「死の灰」を浴びた、第五福竜丸事件が下敷きになっている。原作ではゴジラ第五福竜丸の帰還とともに日本にやってくる▼「水爆などいい気になっていたら、人間は自分たちの力で完全に滅びる」。監督の本多猪四郎さんは著書『ゴジラとわが映画人生』で語る。訴えたかったのは進んだ科学を持った人間の恐ろしさだった▼大戦中の原爆投下の記憶もまだ生々しい「あの時」からの警告は、残念ながら現代に生かされていない。核兵器原発に限った話ではない。インターネットで知り合った一味がその日のうちに誘拐を働く。スパイ機関が別の国の首相の携帯電話を盗聴する。ネット上の憎悪発言。ゴジラは科学技術を使う人間の心の闇の中にすみ続けている▼像の言葉は登場する科学者のせりふで、まだ続きがある。「同類が世界のどこかに現れてくるかもしれない」。ゴジラだらけである。