富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ロートル=老頭兒/老头儿

fookpaktsuen2013-10-27

農暦九月廿三日。乾燥。快晴。午前中書類整理。午後遅くZ嬢と昨日は走つた鰂魚涌のハーバー沿ひ香港殯儀館のほうからペット公園に入り太古城まで散歩。休日で狗連れ多し。鰂魚涌公園の歩道橋横のこの標識(写真)。傍らの高速出口のための時速制限の標識なのだが、これがどうしても階段上がる歩行者に時速制限50kmと見せてゐるやうに思へてならず。太古坊の日曜マーケット。先日、家で飲んだNatale Verga Montepulciano D'Abruzzo 2008年といふ葡萄酒が何処で入手か思ひ出せないでゐたが、このマーケットの出店で同じ葡萄酒見つける。それを2本と別な出店でハンガリーシャルドネ購ふ。晩に湯豆腐。
▼先日の皇后陛下五日市憲法への言及について、このブログによくコメントされる常無常人兄より色川大吉についての感想いたゞく。東京経済大学教授であつた色川大吉が1970年にかけ「明治の精神」(筑摩書房)や「明治の文化」(岩波書房)で五日市憲法について言及してゐるが五日市の千葉卓三郎だけでなく「恐れながら天長さまに楯突くぞ云々」の秩父困民党や加波山事件、奥多摩を抜け佐久に至る自由民権の地下水のやうな流れ。アタシの世代にとつては物心ついて朝日ジャーナルなど読み出した高校生の頃には色川大吉や五日市憲法、中世史の見直しや民衆史は阿部謹也網野善彦の頃、すでに自明の理のやうになつたが70年代の当時は「色川大吉の名前に東京でも世間が眉をひそめる風情も強かったように覚えています」と常人氏。さういふものだつたか。「そうした背景を美智子皇后はどこまでおさえておられての踏み込みか不明ながら勝手な想像を膨らませて心強いものを感じました」と。御意。皇后といへば熊本のハンセン病療養所を今上様とご訪問。目の見えぬ入所者に手をとり「美智子でございます」とお名乗り。さうか、ご自身を名乗る場合に苗字がない、敬称はいくつもあるが名だけの存在。それにしても慈愛深きものあり。さらに水俣病につき天皇のお言葉

やはり真実に生きるということができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。本当にさまざまな思いを込めて、この年まで過ごしていらしたということに深く思いを致しています。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向かって進んでいけることを願っています。

と、なんて意味深。いろ/\な意味で民草には貴重。それに対して晋三の、自衛隊観閲式での訓示といへば

  • 力による現状変更は許さないとの確固たる国家意思を示す。
  • 力による現状変更は許さないとの、わが国の確固たる国家意思を示す。
  • 「防衛力は、その存在だけで抑止力になる」という従来の発想は、完全に捨て去ってもらわないといけない。
  • 相互依存を深める世界において、もはや我が国のみでは自らの平和を守ることはできない。
  • 日本は世界の平和と安定のためこれまで以上に積極的に貢献していかねばならない。「積極的平和主義」こそが我が国の21世紀の看板だ。

と……なんて物騒なのかしら。「中国の脅威」に向けて晋三宣つてゐるのだらう。中国では日本と友好関係正常化に向けた交渉も再開。チャイナデイリーは“Aiming for the win-win”ってまぁ掌返したやうに楽しそう。本当に仲がいゝのか悪いのか、アタシにはいずれかわからぬ。
▼中华人民共和国国务院新闻办公室が22日だかに発表した「西藏的发展与进步」に関する白皮書発表。英文の“Development and Progress of Tibet”(こちら)と中文の併記(こちら)は語学のお勉強にはなる加茂。チベットは「自古以来中国領土」なんださうな。新潟M記者が「この中国」とはいつたい何を指してゐるのでせう?と。そりゃ中国=世界。で西蔵は世界の一部=中国の一部か。
▼テレビの話題はどーでもいゝが「みの」なる司会者について芸能マスコミに「みのや小倉智昭のようなロートル」といふ表現あり(こちら)、と久が原のT君。「ロートル」とは久々に聞いた言葉だが同じく普段はテレビご覧にならない碩学の久が原T君が「ロートル」が「ロートル=老頭兒/老头儿」とは初学、と。多少中国語解すアタシもこれは不覚にも知らず。戦後にプロ野球などで広がったさう。敗戦で大陸からの引揚げ、復員兵などから広まった戦後語なのか。