農暦四月二十日。蘋果日報一面で中環は中国銀行大厦の星巴珈琲、上水道設備がなくビルの駐車場便所の水道から水を汲み珈琲沸かしてゐた、と。星巴は食品衛生局の調査もあり、この事実認めたが「ビル全体で使つている上水道の水で検査基準も通っており水を運搬してから高度な濾過作業をしており健康には問題ない」と主張。いくら水質が問題なくても便所から汲んだ水であることは事実。で顧客に悪い印象与へることは免れず蒸留水利用に急きょ変更、と。本日、午後遅く官邸で来客あり打合せ最中に急に、とんでもない胃痛に見舞はれ客帰つたアト、早退きして太古城にある養和病院系の診療所。触診の結果、胃痙攣だと言はれる。ブスコパンなる薬を、錠剤だと時間がかゝるから注射しますか、で注射するとほんと30分ほどで痛み和らぐ。そのあとは錠剤で、と。ところで診療所の快適な待合室で会計までの間、ニュースぼんやりと見てゐたらQueen Mary Hosipitalでの患者死亡の医療事故について病院側の記者会見の中継。胃痙攣のはずが胃癌だつたら?とか、ふと考へてしまふが都新聞的に「胃ポン」だと思ふと少し気分的には楽かも。帰宅してさすがに今日は黄昏のドライマティーニもなし。手羽のスープ煮込んであつたので、それに白菜と茸類を加へ少しだけ飰す。養生、のつもりが胃がしく/\と痛んで眠れず、ふと先日ご逝去の茂山千作翁の狂言をYoutubeで見る。「素襖落」と「魚説教」の二作。ほんとなんて素敵な狂言師だつたのかしら。舞台に現れただけで笑つてしまふほど愛嬌ある千作さんと、苦虫を噛んだやうな弟の千之丞さん(個人)のこの対象があらためて面白い。それにしても「素襖落」で千作さん亡くなつたら閲覧増えさうだが、これほどの狂言でも500 viewsにも満たないとは。
▼中共の理論誌『紅旗文稿』の楊曉青『憲政與人民民主制度之比較研究』(こちら)が話題に。「憲政」が憲法96条改正での日本ばかりか中国でも話題のキーワードだが、この論文曰く「憲政的關鍵性制度元素和理念隻屬於資本主義和資產階級專政,而不屬於社會主義人民民主制度」なのださうで「憲政は資本主義と資産階級専政で生まれたもので社会主義人民民主制度に見合うものではない」と(笑)。それに比べて人民民主制度は一切の権力が人民、その人民代表代表大会に属すが云々、中共の指導的地位は選挙ではなく中国民主革命勝利の成果で共産党の指導を堅持することが憲法が定める基本原則……と。ほとんどカルト。この論文の最後が秀逸。「中国共産党の多党競選を経ない執政堅持は(人民民主制の中国では)合法性に疑いないもので、それを憲政理念でいえば「多党競選が無いから憲政が無いので、憲政ならば共産党の指導的地位もない」ということになる」。中国が憲政でないことを論理的に問題ない、と言っている(はずな)のだが、読み方によっては中国がいかに非憲政か、という指摘が党中央の理論誌で語られている。ジョージ=オーウェルがこれを読んだら笑止千万か。いずれにしてもかなり思想的に歪んだ世界。
▼都新聞の「筆洗」が、最近話題となる「体罰」について指摘してゐる。体罰が「学校の外なら傷害罪が適用されても不思議ではない。刑事罰を問われるような事件まで「体罰」の美名をかぶせることで本質が見失われ「信頼関係があれば許される」という曲解が生まれた。「体罰」の名前は捨て、子どもたちへの「暴行」や「虐待」と分けて考えた方が被害は減らせるのではないか」と、この指摘は真っ当。たゞ「名は体を表すという。「癌」という言葉はその典型かもしれない。口に出した語感は悪い。かつて手術を受けた経験から言うと「癌」という言葉にまとわりつく強い負のイメージに何度も打ちのめされそうになった」とこの書き出しも「確かに」なのだが、それに続く部分が凄すぎる。「誰でもなる可能性があるのだから「ポン」という名前に変えたらどうか、と提唱する人がいた。確かに、医師から「あなたは大腸ぽんです」と言われたら、落ち込み具合は違う気もする」って、いきなりお笑ひ。肺ポンとか子宮ポンと云ふかしら。で、この「大腸ぽん」の話から「逆に体を表していない言葉もある。「体罰」はその一つだろう」と体罰の話になるのだ。この筆洗子がどんな記者なのか、一度見てみたい(会つてみたい、ぢゃない)。で最後も「「体罰」の名前は捨て、子どもたちへの「暴行」や「虐待」と分けて考えた方が被害は減らせるのではないか。医療の分野で「ガン」を「ポン」と言い換えるよりずっと簡単なことだ」と癌→ポンにこだわる。書き手も書き手だが載せた都新聞もかなり可笑しくないか。