農暦三月廿七日。早晩に油麻地。香港の合羽橋=上海街で1.5啢サイズの小さなグラス購ふ。Cinematiqueでチリのパブロ=ラライン監督の映画 “No”(2012年、こちら)見る。
"NO", es un filme chileno del año 2012, protagonizado por el actor Gael García Bernal, que relata la campaña del No en el plebiscito de 1988, en Chile. La película fue dirigida por Pablo Larraín.
といふわけでピノチェト独裁のチリで1988年に翌年、大統領任期満了となるピノチェトに更に8年任期延ばすことの是非問ふ国民投票ありピノチェト派と反対派が壮絶な運動続けテレビでは双方が毎日15分ずつの情宣番組流すなか反対派が雇つた若手の敏腕広告プロデューサーが主人公で、単に体制派=悪、反対派=民主派で善といふ図式でないのは広告業界といふ、弁護士と同じで雇はれゝばクライアントの意向で演出に徹する業界人が主人公だから、で、どこまで本当に反体制側なのか、で主人公の信頼する先輩プロデューサーはピノチェト側にゐて……この微妙なクールな関係が、たんに「民主映画」ではない面白さ。結果的にこの国民投票はピノチェト派の巧みな投票操作もものともせずピノチェトの大統領任期延長に反対56%、賛成44%の結果。映画では投票が一瞬、ピノチェト勝利と出たアトに予期せぬ停電があり、その後、開票所取り囲んでゐた警察の撤退で何か、と思へば軍のなかでピノチェトへの謀叛の動きあり市街が突然、[カーニバルの如き祝祭空間になるシーンは印象的。この映画が折しも体制と反体制が何だか露骨に対峙することが当然とされてしまふ香港で今、上映されることの意義。一党独裁の中国では当然のことながら上映禁止か。昨日のマレーシアの総選挙ではマハティール以来の与党・国民戦線(国阵)に対して今回はアンワル率ゐる人民同盟(民联)がかなり善戦、互角か一昨日など民联有利といふ報道すらあつたが結果、222議席定員のうち民联89議席に対して国阵133議席で従前より議席数落したが過半数十分に制す。これでも辛勝といはれるのは国阵が事実上の一党独裁で傀儡政党含め大多数の議席握つてきたから。民联も政府与党の癒着、贈賄政治など嫌ふ支持層に支へられたがアンワル先生にとつては最大の機会逃したわけで事実上の引退勧告。アンワル襲ふ次期リーダー不在。今回の選挙、従前は国阵支持だつた華人がキャッチングボードといはれたが人同の支持とまでは動かず、かといつて従前のやうに反共・商業利益確保の意図だけで国阵支持に至らず。選挙結果見たナジブ首相は“Chinse Tsunami”と華僑を詰るほど。これで、これまで政治はマレー、商売は華人とどうにか棲みわけしてきたマレー社会でマレー人と華人の対立深まるのかしら。ペナンの光华日报は今日の社説で「不是一场“华人政治海啸”」と題して(こちら)
华裔选民此次在全国掀起比上届大选更强烈的反风,连国阵原有的定存州柔佛、沙巴及砂拉越的华裔也一面倒支持在野党。无可讳言,全国约有八成华裔投下了反对票,而行动党在一些选区的华裔支持率,可能更高达九成。
首相纳吉在胜选记者会上就形容,今届大选是一场“华人政治海啸”,而马华总会长蔡细历也重申,我国已经进入“两种族制”。
不过,看回成绩,这并非一场“华人政治海啸”,因为没有获得巫、印裔选民的支持,民联将无法维持上届大选的成绩。如果简化的以“族群”来做选举分析,那只有利于执政集团,对民主进程无济于事,相反的可能会加剧族群的猜疑。
大马近期两届大选,在野党的竞选议题大都落在民粹点上,如反贪和废除过路收费等,这些策略若吸引不到不同族群的响应,单靠华裔选民去投下反对票,民联在乡区和半城乡的选区,哪会有所斩获?
国阵已重新赢获政权,当下应该做的是进行协商族群政治,继续耕耘和开创更多跨族群的合作,抹去心中的族群偏见,勿再提起什么“华人政治海啸”!
とさすが良識紙として対立平定に躍起……なのもペナンを本拠地とする林冠英率ゐる民主行动党は野党連合としては政権交代に至らなかつたものの野党の民联のなかではアンワル先生の人民正義党30議席に対して38議席で野党トップとなり、この38議席は政権与党統一マレー国民組織の88議席に次ぐもので、実際にはこの政党の支持拡大こそナジブ首相=政府与党の憂慮するところ。今後さらにペナンの雄、林冠英が力つけることでマレーでの土民と華僑の痼りが……といふわけ。なか/\六ツかしいが政治が深刻なのはマレーより日本。昨日の晋三は長嶋様に国民栄誉賞授け背番号96で記者団から「改憲のアピールになった?」と指摘されると「結果としてね。運命とはこういうものだから。ハヽヽヽ」と笑った(スポニチ)などと浮かれ具合は相変はらず、だが憲法改正を参院選での公約に、とまで宣つてゐたのが一転して「まだ十分に国民的議論が深まっているとは言えない。やはり憲法改正ですから、熟議が必要だろう」と述べる。公明党とも「丁寧に議論していきたい」たんに友党への(表面上の)配慮なのか、或は真剣に改憲は時期尚早と思つたのかしら。理由として考へられるのは
- 憲法改正露骨にすることで改憲慎重な有権者の支持離れの危惧
- 無理矢理な96条改正で改憲動議通り国民投票となつた場合に改憲反対の結果となる危惧
- 憲法改正の動きに対する外部からの(って米国くらゐしかないだらうが)圧力
などらしいが、参院選挙での議席増狙つた発言であることだけ、は確か。寧ろ改憲運命論でも祖父からの宿命でも何でもいゝから国民の顰蹙かい続けるほど暴走してくれて自滅のほうがずっとありがたいのだが……。