富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

世紀をひらく原子の火

fookpaktsuen2013-02-18

農暦正月初九。雨水。歴史博物館に往く用事あり戦後の香港軽工業展示で駱駝牌の何本もの魔法瓶眺めうっとり。一番欲しいのは保温哺乳瓶。かなり精神的にハードな一日だつたが夕方の、仕事相手なのに「友だちとして」と協力してくれるT氏との二時間の打合せで前向きに。FCCで所用済ませステラアルトワ一飲む。郷里の畏友J君のご母堂逝去の報せあり。幼いころからその了見、気風に一目置かざるを得ぬ伯母さまでJ君曰く「ビールが主食」。お亡くなりになつたのが春節除夕も翌日といふ日で

春節は黄泉に屠蘇かと旅立ちぬ

と弔句詠みご霊前に青島麦酒お贈りの手配済ます。銅鑼湾の魚八水産。曼谷Y氏来港でZ嬢と食事。迂生先日Youtubeで見たパペポTV(最終回)の余韻覚めやらず大阪出身のY氏相手にしょーもないネタオンパレードで鼎談笑ひ止まらず。食肆出る際に更に別な卓の知己にお遭ひして挨拶したらアタシの隣卓にゐた方を紹介します、と。それが本夕電話で仕事の話した面識ない相手の方で、すつかり与太話聞かれてゐたことになり恥ずかしいかぎり。
▼昨今の日中島争ひで香港の新聞に「甲午風雲」と勇ましい文字踊るが、これは日清戦争での日中海軍の争ひを云ふ甲午之戦。これにつき陶傑さんが蘋果日報随筆で当時の清国の北洋水師は日本に負けたのではなく清朝の政治腐敗で破れたのだ、と。而もこの日中海戦での本当の勝者は英国で日中海軍に艦船売り両軍の水難兵をば救ひ両国に恩を売り、と、その後の海域での優位を得た、と。
▼「茨城県民の歌「歌えない」原子力礼賛の3番に疑問」と都新聞(こちら)。県民の歌の歌詞(1963年)はこちら。問題の歌詞は311のあとにアタシも日剩に載せたが

世紀をひらく 原子の火
寄せる新潮 鹿島灘
このあたらしい 光をかかげ
みんなで進む足なみが
あすの文化をきずくのだ
いばらき いばらき
われらの茨城

といふわけで、これを東海村だつて反原発なのだから県民の歌の歌詞を変えてもいゝのでは?

世紀を捩る原子の火
寄せる放射能 鹿島難 
このあたらしい光を消して 
みんなで進む足なみが 
あすの文化をきずくのだ
いばらき いばらき
われらの茨城