富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Two of Us

fookpaktsuen2013-02-05

農暦十二月二十五日。早晩にジムで小一時間走る。帰宅してテレビつけると中国海軍の「艦艇」が東シナ海海上日本海軍の護衛艦」にミサイルや砲弾発射するため狙ひ定める射撃管制用レーダーを照射と大ニュース。照射する方もされて大騒ぎする方もいずれも大人げない馬鹿/\しさ。偶然にビートルズの“Two of Us”がアタシのiTunesから流れてゐたのだが、この曲がとても素敵に聴こえるから。「艦艇」とは軍事用船舶の総称、だとすると我が国の護衛艦も艦艇のはずなのだが……。高温多湿でかなりの濃霧。

春節も近き朦霧に道も無し

成田屋逝去に思はず「歌舞伎界の大黒柱か」と迂生愚問を綴つたが村上湛君から「歌舞伎座で由良助と熊谷と弁慶と助六ができ、座頭として人間的価値があるとなれば、夏雄さんしかいません」と指摘あり。芝居だけでなく、さうしたニーチェ的な意味での「人格」まで含みで「市川宗家と呼ばれるにふさわしい」存在である、とすれば、それままさに大黒柱……。六日の朝日新聞に人格といふ点ではこの方も優しさと大らかさは成田屋に似たものがあるが作家の利根川裕氏が書かれてゐる点を引用。

助六」に限らない。どんな役にも押しつけがましさがなかった。小味の欲しい世話物などの場合、ある種の物足りなさに通じぬわけでもなかったが、観客は「やっぱり団十郎さんね」と満足げに許した。余人にはちょっとない芸風である。むしろ、人格のなせる技というべきか。(略)団十郎という名跡は、継承する者にとり、いわば仕えるべき主君だ。十二代目は必死でそれを守った。とはいえいつまでも江戸は続かず、名跡にも時代相はある。現代の「団十郎」がどうあればいいかを当代は深く考え、対応していたと私は思う。つつがなく後につなげようと懸命であった。団十郎は、当代としての重責を果たすと同時に、いずれ十三代目を受け継ぐかけがえのない存在である長男・海老蔵に対し、判官を守る弁慶の役割をも果たそうと、必死だったような気がする。それが通常の親子関係を超えた、「団十郎」を継ぐ者の使命だった。彼が生涯かけて念じたものを、海老蔵が真に理解し継承することを私は祈る。それ以外に供養は、ない。

渋谷青葉台團十郎邸弔問に訪れた音羽屋は
「荒事というのはバカ/\しさを持ち合わせていないとできない。理性ある人ではなか/\勤められない役ですが、彼は堂々とやってしまう。子どもから急に大人になったような、おおらかで天真爛漫そのものでした」と。ほめてはゐるのだが……。
三浦朱門による安岡章太郎追悼の「文学者の体臭」(四日、都新聞夕刊)。「第三の新人」といふ言葉がアタシはずっとピンとこなかつたが曾野綾子の夫曰く、この「第三の新人」を最初に使ったのは山本健吉と記憶する、としつゝ

第一、第二の新人がどういう人々を指すのか、氏(山本健吉)はついに明らかにはされなかった。しかし敗戦直後に登場した若い作家たちは、戦時中の束縛と閉塞状況に対する反感から、反体制的立場からの文学、そして日本が戦争によって鎖国状態になっている間に、西欧で起きた新しい文学傾向、たとえば実存主義文学などを、日本に紹介しようとしていた。それに比べると第三の新人と言われた人たちは、ダメ人間、ダメ少年であることによって、社会から見捨てられることで、戦争の嵐をくぐり抜けた。しかも自分たちをダメ人間であるとした戦時中の、そして明治以来の日本の体制的風俗を、批判する結果になる作品を書いた。

……って、そんなダメな人たちの小説をどうして読むかしら。第三の新人が一つも理解できない私には「読まなくてよかった」だが曾野綾子の夫、三浦朱門もよく理解できず。
▼大陸からの担ぎ屋が香港席巻するなか陶傑先生の「市場與人情」(蘋果日報

香港只要一天對中國有用,中國就不會不搭理香港。大米、食水、自由行,不會斷,除非有一天,香港對中國全無市場價值。香港的市場價值是什麼?法治、契約,還有相對的廉政,對於大陸自由行,還有便宜的港元滙率。因此,「如果有一天內地對香港閂水喉」的假設,成不成立,要看香港自己,只要有一個與大陸不一樣的市場在,譬如無毒的奶粉,就不會,因此,香港人不要介入大陸的反貪污,只要你自己把持得定,有這一切,對香港好。