富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-02-06

農暦十二月廿六日。朝、濃霧。Happy ValleyのHong Kong Cemeteryに往く所用あり(墓場に所用といふのも何だが……)通称「日本人墓地」といはれる第34、35地区に上ると河津櫻がちょうど満開。橘屋=市村萬次郎氏夫人の潔子さんの尽力で東京の霞会館から、この櫻が寄贈されたのは、もう十年近く前かしら。大正八年建立の「萬靈塔」の大谷光瑞師の揮毫にいつも惚れ/\。早晩に帰宅途中にジムで小一時間走る。こゝ数ヶ月の不摂生で体重は増えないのだが身体に締まりなくなり慌てた次第。だが数日続けて少し運動しただけで少しだけ身体は締まるから。テレビの録画でNHKの新日本風土紀「湘南」見る。やはり昔の新日本紀行の印象が残つてゐるアタシには、この新シリーズがまぁ軽く見えること。しかも湘南だし。個人的にあのアッケらカーのカーの湘南カルチャーは苦手。湘南といへば湘南サウンド、だが湘南の伝説的サーファーでサーフ用品製造販売する方がサーフボード製作のときは、もっぱら八代亜紀吉幾三の演歌といふのが何とも……。もう一つTV60年特別番組「テレビのチカラ」。タイトルからして……。黒柳徹子さんとか現役なのが立派なのか、ただ老化で口跡が悪くなったら、どこまで出るべきなのかしら。TVが平和の時代の象徴だったからテレビの仕事をしよう、と誓ったといふ。テレビがそれから何にどう寄与したのか。萩本欽一が全盛期にいくらステージで飛び跳ねてコントやっても浅間山荘事件で何も動きのない窓ガラスが映つてゐるだけなのに人々が「何かが起きるかも」といふ期待だけで、それに釘づけになつてゐるのを見て、また(過激派であれ)素人が何をしだすかわからないことにテレビの力と衝撃を覚へた、と……これは意味深。1967年の和田勉のドラマ「約束」のまだ二十歳の播磨屋山本學の芝居が見事。
成田屋の通夜。「祭事は神道の一つ「神習教」の教主が取り仕切った。弔問客によればお清めなどもなく、神道の儀式にのっとり粛々と進められ、海老蔵、親族、近親者の順に玉ぐしをささげた」と中日スポーツの記事成田屋成田山新勝寺、だが檀家に非ず、なのね、と金澤のH君。本当に。「神習教」は教派神道十三宗の一つ。團十郎は初代の墓が増上寺(系列の常照院)にあり今も檀家? だが九代目が明治十七年に神習教に改宗で墓は九代目から代々青山墓地。「神習教」は田園都市線桜新町の桜神宮(こちら)。
▼足立区教委が「校長を教育」と小中の学力底上げのため教育次長職を置き校長教育の由(都新聞)。校長をば教育したから学力が上がるか。問題は現代日本の社会そのもの。戦後の自民党の教育政策と文部省の文教行政にこそ責任あり(日教組の所為にせぬこと)。
▼「中国の大気汚染 経済優先やめる潮時」と都新聞社説(こちら)。これは極論すぎないか。