富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-12-31

十二月三十一日(金)快晴。キリスト教カルト教団の日本オバサン数名が陋宅マンションで布教ローラー作戦。怖っ。身なりもいゝし、けっこう年配で旦那は駐在でそれなりの立場かしら。夕方に中環。オリンピアグレコで珈琲豆購ふ。老店主が「一年なんてあっという間」と。また来年もお元気で。今晩の大つごもりの大宴会の準備に忙しいFCCでウオツカ一飲。今晩のギャラは19時にカクテル始まり20時から晩餐、で半夜三更にカウントダウンでバンド演奏が始まり25時より夜食ならぬNew Year Breakfastださうだ。キチガイ騒ぎとしか思へず。映画「旅芸人の記録」では素晴らしい情景であつたが。晩に雑煮や豆や野菜の煮物食し菊正宗。今年も暮れも亦た一葉の「大つごもり」読みつゝ*1、奉公に出た娘の話で大晦日は旧暦か?と思つたが明治二十七年のこの物語は、すでに商家の〆は陽暦の十二月? この小説ぢたい同年「十二月号」の「文學界」に書き下ろしは間違ひなく年末合わせ。日本人がかうも簡単に太陽暦に合はられたのは何故。適応性なのか節操のなさなのか。陰暦の五月初五の端午節も太陽暦で祝ふなんて超近代的。ふと北一輝を読む。

歴史は嚴肅なる判官なり。然るにこの判官の前に立ちて今の日本國民は凡て事實を隱蔽し解釋を紆曲して虚僞を陳述しつゝあり。所謂順逆論なる者是なり。*2

浄瑠璃の研究をされてゐるK君よりアタシがふと気になつた「お稲荷はん」につき「さん」と「はん」につきメールあり。米朝師匠が「上方ことば」と題して書かれてゐると教へあり。*3

関西弁で説明のしにくいのは敬称の「はん」と「さん」の違いである。
「さん」と「はん」の使い分けは関西一円で行われているが、小説やドラマでも意外にこの誤りが多いのでここに書いておくが、「さん」の方はいささか丁寧で上品で、「はん」の方はやや下品でその代わりに気易さがある―という位に考えておられる向きが多いようだ。
しかし、実は関西弁のドラマや小説でよく使われる「お客はん」とか「仲居はん」とかいうような言葉はないのである。
語尾が、イキシチニヒミイリヰ……つまりイ列の場合には下に「はん」はつかない。すべて「さん」である。 また、ウクスツヌ……のウ列の場合も「さん」である。人名でも、「おますはん」やら「辰はん」などとは言わない。「おまっさん」であり「たっつぁん」である。
アの列とエの列は「はん」を付けて呼んでもよろしい。また、語尾が「ン」の場合もかならず「さん」である。
残った「オ」の列、これが実はさまざまであって一概に律し切れない。私の考えでは、この「オ」の列は現在まだ過渡期であるように思うのである。 古くは「さん」であったのが「はん」も使われ出して、まだ百年も経っていないので、バラバラの用例が見られるというところかと思われる。

米朝師匠らしい、こゝではまるで国語の先生の文法解説のやうだが、これにもとづくと「お稲荷はん」は違反となる。またK君によれば米朝師匠には「「さん」と「はん」」といふ文章もあつたさうで、そのなかには十三代目が「仁左衛門「はん」なんて呼ばれると虫酸が走る」と米朝師に語つたといふ(まことに十三代目と米朝の考証家同士らしい)文章があつた由。ところで問題は「武原はん」である。ちとやゝこしい。姓だけで呼ばせていただくなら武原はア行なので「武原はん」で良いが、この上方舞ひのお師匠さんの場合は名が「はん」なので姓名の「武原はん」なのか敬称の所謂「さん付け」の「武原はん」なのか、が六ツかしい(イントネーションで区別できるが)。名の「はん」の方だと「ン」で終るので「はんさん」だらう。いづれにしても「武原はんはん」だけは無い。
週刊文春(新年特大号)でトップ記事はAB蔵でいきたかつたやうだが目新しい動きもなく(示談会見は〆切りに間に合はず)無理矢理「團十郎が語っていた「海老蔵への戒め、役者の覚悟」って何かと思へば「独占入手」と騒ぐが四ヶ月も前の成田屋の講演録から役者としての心構へなど語つたのを引つぱり出して流石、菊池寛の文春らしい大袈裟。一つ興味深いのは團十郎さんの講演ってのが「出版・人権差別問題懇談会」で講師としての歌舞伎役者の差別的歴史と歌舞伎芸能の改良云々といふ話題で成田屋らしい真面目さと学識だが、その文春が独占入手(アホか)で驚いたのが海老蔵には市川宗家の歴史とか

折りにふれて話しています。ただ、話しても覚えてもらえるかと言うと、難しい部分がある。実を言えば、家系なんかも自分で勉強してくれないと、「私の父は三兄弟の長男で……」と口で家系図を喋っても、なかなか理解してもらえない。

團十郎の弁。海老があれほど「じっちゃん」なんて十一代目のことを意識しているやうなことが言はれるが父・團十郎のこの言ひ方だと、海老には「七代目幸四郎の……」が理解できてゐない、といふことかしら。ところでこの記事で劇団四季「社長」浅利慶太海老蔵醜聞に関する(たかだか)コメントが「緊急発言」(笑)として出てゐるのだが演劇界の長老として海老への叱咤、門閥の再検討などコメントはいゝとして歌舞伎を「日本民族としての誇り」って浅利社長も何を惚けたことをおっしゃるか。歌舞伎などたかだか芸能である、芸能。それで素晴らしい。「日本民俗の」ならマダだしもたかだか芝居にナショナリズム用ゐるべからず。

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*1:昔は岩波文庫、それから集英社の全集となり今年はiPad青空文庫となつた。

*2:北一輝著作集、みすヾ書房、第一巻「所謂国体論の復古的革命主義」269頁

*3:桂米朝師著『上方落語ノート』、青蛙房、1978年刊、65頁参照。