富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

侯孝賢の「恋恋風塵」感涙に咽ぶ

fookpaktsuen2010-08-22

八月廿二日(日)数日前にSCMP紙の宅配止めたのはiPadで電子版読もうと決めたからだが、やはり紙面広げた時の記事を漁る感ぢが網上になく、とくに週末版は土曜の特集記事だの日曜の付録雑誌など、もう20年も読んでゐると新聞「紙」がないとどうも寂しく、Z嬢はSusan Jungの料理記事がさらっと読めないのが面倒だ、といふ。然り。やつぱり新聞「紙」の配達を再開しようか。日曜の朝からクンデラ「存在の耐えられない軽さ」続き読む。了。昼過ぎにジム。昨日からちょっと眩暈がひどくなつてゐる。高血圧の薬を止めたから? ジムでトレッドミルで走るのが怖いので珍しく自転車漕ぎ。FCCハイボール二杯。樋口陽一先生とジャン=ピエール=シュヴェルマンの対談集「共和国はグローバル化を超えられるか」(平凡社新書)読み始める。昨年晩秋に恵比寿の日仏会館でこの興味深い対談が行われたことを、その司会を務めた三浦信孝氏が「世界」だかに書かれてゐて、ネットにでも対談の詳細がないか、と漁つてゐたら新書で対談に加え樋口、シュヴェルマン、三浦の手稿も加へ出版されたことを知つたもの。グローバル化ワールドスタンダード、と言葉は調子良いが、野蛮な超大国のおかげで泥沼化する国際政治や金融経済の世界にあつて、あらためて良識的な<近代知>の領域で政治や経済を語られることが、こんなに鮮やかに映るとは……。夕方、九龍に渡り圓方の映画館で侯孝賢監督の映画「恋恋風塵」(修復版)を見る。1987年の作品で確か当時、新宿か渋谷で見た記憶。香港でも15年以上前に一度、見てゐる。あらためて見て、なんて素敵な世界だつたのだらう、と過去二回よりずつと感動。おそらく最初見た時には侯孝賢よりずつと年下だつたアタシが、今では「恋恋風塵」を撮つた頃の侯孝賢よりずつと老ひてゐる。修復の具合も見事。どのシーンも印象的だが、主人公の文遠(王晶文)の服役を李天禄!演じる祖父が爆竹鳴らしながら見送るシーンなど、もう涙腺が緩みどうしやうもない。この映画の次に「非情城市」で侯孝賢は大成功するが、この「恋恋風塵」こそ1960年代の台湾の社会風景を撮つた最高傑作だらう。会話の台詞一つ一つ、役者の、それも視線の置き場のなさや台詞に噛んだり、それが自然に見事なシーンにまでなつてゐる。昔の台北駅、中華商場も懐かしい。この映画が公開された1987年に台湾は戒厳令が解除され政治も経済も大変革が起きたわけだが、そのぎり/\前に、その変革を迎へる前の台湾を撮り遺したことの意義を今になつて痛感。Z嬢と待ち合わせ(Z嬢が圓方商場のなかでの食事など受け入れるはずもなく)船渡角まで高架橋を歩く。船渡角の町外れで圓方のある九龍駅楼上の超高層ビルを背に紙銭など燃やし焼香する人々。「恋恋風塵」の映画でも文遠が恋人の素雲(辛樹芬)と台北から郷里にお盆に帰省のシーンあり。偶然にも明日が旧暦七月十四日で盂蘭盆会。十三夜の月を愛でる。船渡角といへば添記の法式三文治。美味至極。「小」をZ嬢と分けてB 級グルメの船渡角で何か他にも食べませうといふ算段だつたが、さすがに空腹でもないのに四川料理隨變で火鍋する気にもなれず対面の文利餐庁に古典的鼓汁洋食。尖沙咀に往くつもりで乗つたミニバスが奥運(オリムピック)駅行きで遠回りして帰宅。映画の途中から目眩ひどく結局、血圧抑制の薬を服す。しばらくすると頗る、樂。血圧の薬は一旦飲み始めるとずっと飲み続けないといけなくなるから、といふ皆からの忠告を実感。
▼「天空是藍色的。」といふ一文から陳雲氏が書き起こすは、これが中文として正しいかどうか(蘋果日報)。その後、普通話となつた北方口語では例へば「你這個做得不對」(こんなことしてダメでしょ)は確かに「是」を用ひて「你這樣做,是不對的」とすると教訓的な言ひ回しとなり、同じく広東語でも「你咁樣做,唔啱」と「你咁樣做,係唔啱嘅」で「係」が同じ役割をするるが、この「是」や「係」は語気高めこそすれ文法上必要な語句に非ず。口語で「今天呀,有藍天啊。」「嗯,你看,天晴了噢。天色真藍啊。」で自然。それが何故「天空是藍色的。」が普及したか、といへば英語の“is”の影響か、と陳氏。アタシらも日本語の中で漢文習つた際に「日日是好日」は「日々これ好き日」で「毎日は素晴らしい」ではなかつた。

 
“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

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