富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八十年代の楊絀昌と八十後の韓寒

八月二十二日(土)晴。陋宅のLANが繋がらずPCCWに電話すると朝六時に人間対応あり。立派。アタシんちだけでなく周辺も繋がつてをらぬ由。きっと夜中に道路とかケーブルの工事で非熟練工が断線の仕業かしら。かういふとき3Gは便利。iPadに3枚目でようやく晴れたスクリーン保護シートだが「光澤なし」選んだらどうも目に馴染まず普通のに変へたく近くの電脳消耗品屋でシート買つてこようと陋宅出たら、しまつた!鍵もたず、でオートロック。仕方ないので書肆で韓寒著「飄移中国」と、薄いTシャツ一枚だつたのでTimberlandで冷房対策にジャケット贖いHabituで珈琲&読書して自宅に入れるのを待つ。韓寒は八十後「飄移中国」はご本人のブログ(こちら)の雑文集。ブロ雑を上梓しちまふなんて内田樹先生の如し。飲み屋で内田先生の言説披露するオヤジ多いやうに中国で若者のあいだに韓寒の人気は凄まじく米国のタイム誌が今年春に「2010年世界で最も影響力のある100人」の候補に挙げたほど。若くイケメンで、歌や自動車レースなど多彩な才能を発揮し人権や自由につき政府当局を批難し……と「売れるところづくめ」だが、あまりに売れ線で「造られたキャラクターか」とすら思へてしまふ。自宅に入れた時はすでに高校野球の決勝が終はつてゐた。珍しくスポーツ観戦のつもりで午後は空けてあつたのに。晩二更に九龍に渡り圓方の映画館で故・楊絀昌監督の映画「恐怖份子」見る。初。1985年の「青梅竹馬」と1991年の「牯嶺街少年殺人事件」に挟まれた1986年のこの作品は登場人物の関係が不明で物語が散漫で、何がテロリストなのか?と半ば飽きつゝぼんやりと見てゐたが終はりに近づくにつれ物語がぎゅっと絞られ、まさかの「あ、これが」テロだつたのか、と解つた、と思つたらまた最後に「実は」、と八十年代の台北を舞台に人間の「思ひ込み」のなかに恐怖が潜んでゐることを語つてみせる。この映画が香港の嘉禾資本で鄒文懷の出品とは知らず。少なからず役者が広東語で台詞を言つてゐたからか作品は台詞は撮影後に吹き替へで、それにしても画像と台詞のタイミングのズレが目立つ。当時の製作で技術上の問題と説明されるが昔からさうした技術はあるわけで寧ろ、当時この作品がまさか四半世紀後にまで楊絀昌追悼で上映されるやう遺らふとは思はれもしなかつたのではないかしら。今回の上映フィルムはオリジナル復刻のデジタル版だが現場の音声、音楽など混在で台詞のみ抜き出しての修正が出来なかつた由。だがオリジナルのまゝ遺すことが正しからう。

富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/