富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿五日(月)先考誕生日。存命なら喜壽。本来なら生前に膝下に伺侍し報恩べきところ何ら返すこともなく忸怩の念ばかり。数日の甚雨が小雨となるが未だ歇まず。誕生日といへば、と話題は孝恩から下世話になるが、銀行やクレジットカード会社から誕生月に届くお祝ひ、かつては数百ドルの商品券であつたり二時間のフェイシャルトリートメントであつたりしたものが、こゝ数年は指定の食肆、ケーキ屋等でこれ/\お食事になり買物されゝばこの特典あり、とお祝いどころか消費促進。こんなもの祝ひにならぬ失礼甚だしと送り返し事もあり。
▼先週末に香港で開催の何だか経済フォーラムで(クラグマン教授も参加かしら)で北京大学MBAの院長が「上海が中国の紐育なら香港はシカゴ」と語り、その場にあつた香港政府の小役人(財経事務及庫務局局長)がせめて一矢報ひやうと「上海が紐育なら香港は中国の倫敦」と応へた由。第三者がこの言い争ひ聞けば、長野と松本、静岡と浜松の如き地方都市の筆頭争ひの如し、か。信報は今日の社説「應由市場決定誰是國際金融中心」で
市包括上海可比,因此天津乘着渤海經濟區起飛,而其市長戴相龍又曾經當過人民銀行行長,各項條件俱在,天津於是也積極籌建國際金融中心。但是,一國之內,又怎可能會出現幾個國際金融中心?
香港的金融中心地位,是百多年來經市場考驗、受過不同年代金融風暴衝擊而幸存下來的成果,雖然在中國內地開放之前,香港得天獨厚獨家經營對中國的業務,但北京從來沒有指定香港要成為金融中心,表面上看,中國曾經給予香港「優惠政策」包括安排幾家大型國有金融機構來港上市,但事實上在九十年代內地要進行金融改革、把國有銀行改造上市,除了香港股市為其效勞,還有其他更好的選擇嗎?當年中國銀行申請在紐約掛牌時,就受到監管機構多番追查、層層審核,最後被迫打退堂鼓。三家大型國有銀行成功上市,香港市場為它們籌集了以千億計的資金,一夜之間把瀕於崩潰的國有金融機構化身為市值最高的幾家銀行,試問中國能在其他地方找到這樣運用自如的金融市場嗎?
と述べ「北京中央が何故に上海を中国唯一の国際金融センターにしたいか、といへば、その理由の一つは香港の政治的環境=民主化の動きを北京が掌握できぬジレンマあり、中国が香港に匹敵する「自分たちの」国際金融センターをば建設したいのだらう」と指摘。だが国際金融の中心地となるには金融ばかりか政治の安定や法治といつたリスクあるわけで、それが果たして何処まで理解されているか、いづれにせよ中央政府の上海の金融都市化への加担は積極的で、それがある限り香港は公平な競争は出来まひ、と述べる。この社説に加へ林行止専欄も「監管稍嫌不足 香港排名降級」と題して香港が国際金融センターとしての地位を維持しやうといふ時に香港金融管理局(HKMA)の任総を襲ふ総裁人事問題は、この総裁の地位にあつたジョセフ=ヤムが本来、後継者育てるべきところ英国人やマレー華僑だの、つまり専ら自らを襲う危険性少なき部外者で脇を固めた安直さを指摘、で出来レースで選ばれるであらう後任の陳�霖では経験不足でとても香港金融の世界的な地位など維持できまひ、と冷静な林行止にしては辛辣なる指摘あり。
▼も一つ信報より。馬國明「六四屠城與經濟發展的謬誤」。先日、自称政治家・文革曽行政長官が立法会にて六四平反について問はれ「中国のその後の経済発展と社会安定を鑑みれば」と応へたことにつき、馬氏の指摘は、一九八九年当時、六四民主化以前の党政府は官僚の腐敗ひどく民衆の不満が増し改革派の領袖たる胡耀邦失脚と逝去あり。鄧小平とて当時は陳雲、李先念ら改革に懐疑的な元老らと対峙し胡耀邦更迭に加へ天安門での対応不良理由に趙紫陽をも切ることで反改革派に靡き、どうにか鄧小平が報ひたのは一九九二年の南巡講話でせう、と指摘。南巡は北京で巻き返しのきかぬ鄧小平による都離れての政変。直接、地方官僚や末端幹部に訴へ北京へ巻き返し。それが成功しての今日の経済発展、と思へば天安門事件平定=その後の経済成長と安定に非ず、と。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/