富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-05-24

陰暦五月初一。多雲惨澹、甚雨不歇。机に凭り書事了はぬ内に昼に至る。龍井茶淹れ「とらや」の羊羹一切れと日本橋錦豊琳なる店の「かりんとう」頬張る。午後遅く北角で整体。早晩に佐敦でZ嬢と待ち合わせ佐敦咖喱屋に食す。食後、寧波街明記甜店に路上で芝麻糊頬張り飼ひ猫と戯る。油麻地まで雨のなか漫ろ歩きCinematiqueに今晩は許鞍華監督の『天水圍的夜與霧』観る。任達華が演ずるは職に溢れ生活保護受け天水圍の団地の用水路で魚釣りするだけの中年男。すぐにキレて若妻や双子の幼い娘にまで乱暴狼藉。張靜初がその男の健気な後妻役。四川省から深圳集団就職の職工転じて私娼となり客の香港男の妾のはずが身篭り本妻に。これで天水圍で幸せに暮せれば良いが夫の暴力と狂気は日に日に非道くなるが妻は香港の永住権なく生活保護も受けられず、の悲劇は惨劇的結末へ。家庭崩壊だの社会問題が目立つた典型的な郊外の団地・天水圍が舞台。家庭内暴力といふ「ケースが多様で、だう解決できるの?」といふテーマだがソーシャルワークの不備や警察の杜撰な対応など問題指摘の社会派映画。
日本橋にキンホウリンなんて花林糖あつたかしら?と思つたら東京驛地下街で評判のかりんとう屋の由。この菓子屋、丸井スズキなる菓子卸業による出店。会社は確かに明治31年日本橋小伝馬町で創業の金平糖の製造卸、だが戦後に小伝馬町から昔なら千住から放水路越へた梅島村=現・足立区南花畑に移り(確かに錦豊琳の会社住所は日本橋小伝馬町だが)一昨年この東京驛の売店でのかりんとう販売開始で「日本橋」とはよく言つたもの。この錦豊琳は「にしきほうりん」と読むさうな。錦松梅だつて「にしきしょうばい」ぢゃなくて「キンショウバイ」、どうしても訓読みなら「にしき、まつ、うめ」で錦豊琳を「にしきほうりん」と読ませることに、「和民」が経営者の渡海氏の名に因むとはいへ「人が和む」意で「和民」と名づけ「わみん」或いは「かずたみ」ぢゃなく「わたみ」と読ませるやうな語呂の不安定感ぢるのはアタシだけかしら。「にしきほうりん」が赦されるのは林道榮(はやし どうえい)とか、江戸の書家か漢学者か姓は「にしき」で名が「ほうりん」くらいだらう。アタシには普通のかりんとうとしか思へぬが当たると売れるから商売は不思議。

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