富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-04-29

四月廿九日(水)トンフル疫禍=墨西哥風邪は、火事になると桶屋が儲かる、ぢやないが、SARSや鳥フルの時もさうだが疫禍になるとアタシの日記のヒット数が上がる(笑)。ところで、今朝の蘋果日報に旅行鞄特集あり骨董の旅行鞄「往事鎖於古董箱」で、かつて蘇呆区にあつたchen mi ji(陳米記)が湾仔にあること知り、早速 chen mi ji を訪れる。衝動買ひになりさう。だが昨日の信報連載で劉健威兄もライカのM8買つてしまつたこと曝露?してゐるが「價錢不便宜啊,霎時衝動,其實是潛藏已久的物慾在剎那間爆發。喜愛攝影的人,誰不想擁有一部L機?」と、これは素直な心情の吐露だらう。chen mi ji では幸ひに好事家はアタシが最初だつたやう。記事にある「古董啡」は今、アタシの手許に。ソファや椅子などかなり食指動く。帰宅途中に北角の華豐國貨デパート通りかゝり中国茶コーナーに寄れば信報に誰かが寄せた茶話で今年は龍井茶高値とは読んでゐたが「明前龍井」(清明節前に摘んだ葉)は一斤がHK$1200なり。清明から穀雨にかけて摘まれる二番出の「雨前龍井」も天候不良で不出来。それで「明前」が希少価値の由。これが「高い」のは事実だが前述の信報の書き手は四両がHK$300で高からうが20数杯飲めると思へばホテルで不味い珈琲、紅茶にHK$60払ふより安からう、と。御意。だがアタシは北角の國貨では鳥渡……。帰宅して連日の偶然ながら「豚づくし」、で今晩はポークカレーライス。久々にNW9見る。墨西哥風邪での報道のテンションの高さに当然、期待(笑)。今朝、墨西哥からの一便がッ!と成田空港の朝の様子。乗客に機内での検疫も「中の様子は我々には伺ひ知れません」で検疫から解放された乗客に「感染は心配ですか?」と悪魔のやうな質問。「砂の器」か。乗客が「心配です」と答へたからつて、どうする? 「さうですか」と言ふだけだらう、対岸のアタシらは。アタシなら「心配ぢやありません。この取材をして報道するアナタたちの頭の方が心配です」と答へたいところ(それを流したら面白いが)。で乗客の一人から「機内にはまだ残された人たちがゐる」と驚くべき事実がッ!知らされた。摂氏39度の発熱の乗客がゐた由。で検査の結果一時間で墨西哥風邪ではない、と判断され無事解放。……それなら本来「ニュースにならない」のだが。アエロフロートならチヨートクさんがウオトカ飲みすぎで発熱してゐるだらう。Z嬢が墨西哥便にこゝまでするなら、なぜ鳥インフルエンザで茨城の養鶏場が疫禍となつたら常磐線で千葉に入つて我孫子なり、首都を守るなら江戸川越えたところで臨時検疫をしなかつたのか?、宮崎でなら東国原知事の上京を見合はせたか?、と。御意。さらに「地方でもッ!」と市役所では市長も陣頭に立ち(次期市長選での続投狙ひか?)駅前で住民にインフルエンザ感染警戒のチラシ配り休日返上で電話相談窓口を開くなど対応の紹介。市民も市民で「遠い世界の出来事だと思つてゐたんですが、いよいよ間近か、つて心配になりますねぇ」と。こゝまで20分。香港のテレビ局もBBCもCNNも北京の中央電視台も晩のニュース見たが墨西哥風邪については「感染の現状は……」と事実伝へWHOや米国の警戒など伝へて、でお終ゐ。それが常識。大丈夫か、日本のマスコミ報道とそのニュースに慣れた日本国民。蔡瀾さんが日本人の「悲観」好きを連載で指摘してゐたが、まさにそれ。本当は悲観するほど深刻ぢやなくても悲観してみせる習性。新聞も新聞で、日本の新聞といふのは、このトンフルならトンフルを一面トップ、政治面、経済面、国際面、生活面、社会面と全てで「扱はなければならない」らしい。で朝日新聞も国際面なら今朝の紙面で「東アジア防戦 各国、警戒強める」と外報部が記事にする。で香港は「03年にSARSが流行した香港では不安が広がりマスクが品薄だ」と伝へる。慥かにその通りだが今朝の蘋果日報には「市民連日來狂掃口罩,但這間位於土瓜灣藥房昨日仍有存貨」とマスクが売れるがまだ市場にある、と書いてゐる。報道といふのは街角でマスクした人が澤山の中の二人「だけ」でも二人大写しにすれば「みんながマスクしてゐる」やうに映るから怖い。今でも忘れもしない2003年のSARS疫禍の際 に日本のマスコミは某テレビ局は「現地でどれだけ情報が少なくて不安か」を前提として取材してゐたし、新聞にも香港でSARS感染が多かつた地区に日本人学校があり日本人が多く住むやうな表現もあつた。あまりに勝手。マスコミの報道こそパンデミックそのもの。1968年の香港風邪。世界で100万人が死亡といはれるが名前の元となつた香港は感染者こそ50万人で人口の七分の一が感染だが死者は少なかつたといふ。どれくらゐの悲惨さだつたのか、とふと気になり、ちやうど近くにゐたL氏(当時15歳)とW姐(当時26歳)に尋ねたがL氏は全く記憶にない。W姐は娘を産んだ翌年のことだつたが「死んだ人もゐなかつたし、流感にかゝつた人も医者に行つて薬をもらつて治して」の印象くらゐしかない、と言ふ。
香港大学の学生会で隠れ親中派と噂される会長が天安門事件につき反北京的な見方の平反(見直し)宣つたところリコール起き信任投票で失脚したが、親中派御用政党民建聯の曽鈺成は「天安門事件についての平反は鄧小平を否定することで、鄧小平を否定することは中国の開放経済政策じたいの否定につながる」と、まるで廃刊となつた文藝春秋の『諸君』ででも学んだやうなレトリックで持論力説。かういふ思考回路だから陶傑が怒る(笑)。