富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-04-12

四月十二日(日)薄曇。Z嬢と久々に新界遠足。目的地は新界東北の烏蚊騰方面だが、とりあへず紅磡は気分的に通りなくない、と丁度来た馬鞍山行きのバスに乗る。馬鞍山で大埔(教育学院)に頻繁に出るミニバスに乗り換へ連休で閑散とした大埔工業団地。其処から烏蚊騰まで入るのにタクシ自動車に乗る。汀角路を大尾督の方に走るが運転手が引つ切りなしに「ジャパニーズ・テンプルか?」と尋ねる。日本の寺などこんなところにあるか、と思つたが頻りに「チョンガーホックウイ」「チョンガーホックウイ」と繰り返す。あ、創価学会か。慥かにこの先に香港国際創価学会康楽中心があるわね。日本人がきつと多いので大埔のタクシ運転手もご存知か。「だから創価学会ぢやなくて烏蚊騰だ、つうーの!」と言ふが「烏蚊騰にはジャパニーズテンプルはない」と運転手。べつにそんなに日本人は信心深く寺参りはしないよ。で烏蚊騰の郊遊徑の入り口。真直ぐMTRで来れば良いのにバス好きの遠回りで、さすがに自宅を出てから一時間45分、の午前10時30分。いきなり230mほど登り分水凹を抜け東の海に吉澳、北に深圳沙頭角を眺め春の花の咲く小徑を歩く。不愉快はスポーツ飲料や菓子の包み紙が路に所々散見されることで途中で大きな買物袋拾つたのでゴミ拾ひしながら歩く。昼すぎに新界東部の印洲塘の湾に面した茘枝窩の集落に着く。この茘枝窩の集落ももう住まふは四、五十の家屋の三分の一くらゐか。龍山寺の祠に賽す。この茘枝窩は行政上は船の通ふ沙頭角に属す。沙頭角が香港と深圳の疆界に跨がる「禁区」のため居住民以外の往来制限され、必然的に茘枝窩など吉澳の沿海の村々に船で渡ることも船が沙頭角からだけでは制限されてしまふ。茘枝窩の村の広場に「沙頭角禁区制限撤廃要求!」とスローガンあるも道理。龍山寺の向ひの広場に出た屋台でHK$5の焼きそば食しマングローブ見渡す海岸まで出てから潮風浴びつゝ持参の握り飯頬張る。かつては農作も盛んであつたのだらう、立派な家屋も廃れ幾歳月。家財道具捨てゝ去るのは良いが父母、祖父母の写真が掲げられたまゝなのが気にかゝる。せめて遺影だけは、と思はぬかしら。いや、一家挙げての転居にあらず、若い者から一人去り、二人去り、で還る者も途絶え、で家族の最後の一人が他界し……なら遺影もそのまゝか。低い峠を越え三椏村。福利茶室で名物の豆腐花食す。交通も不便な、ッて山を歩いて来るしかない、この離村の茶屋が、まぁ休日はよく賑はふこと。慥かに此処の豆腐花は美味い。この三椏村はまだ辛うじて住む者あり。だが生業を週末のハイカー對手の食堂や養蜂業とする。此処から沿岸を離れ北に吊燈籠(標高416m)仰ぎつゝ山水の谿流に沿ひ下苗田、上苗田、九担租と廃村をいくつか抜け烏蚊騰の集落に戻る。もう四時。上り下りあり歩いたは12kmくらひかしら。村の士多(ストア)で購つた缶ビールを二本飲むと来たミニバスで大埔墟に戻る。もう五時過ぎで早めの夕食を和暢粥麺専家に食す。ありがちな粥麺屋のやうでゐて客家菜。鹹鶏や梅菜使つた料理が美味。アルコールは持込み、で近所のコンビニでビールとホワイトホースウヰスキイの小瓶購ひ勝手に飲む。香港島に戻る307系統の30分に一本のバスを一寸の隙で逃し雨も降つてきたので往路と同じ馬鞍山行きのミニバスに乗り馬鞍山経由で帰宅。半分ほど残つた小瓶のホワイトホースのウヰスキイ飲もみ堀田善衞『上海にて』続き読む。

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