富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-04-13

四月十三日(月)耶蘇復活節。昼すぎまで官邸でご執務。九龍に渡り旺角。久々に楽園牛肉丸王に食さうと向へば、かなり今様にイメチェン。肆のロゴから内装、スタッフの制服まで小綺麗に。かつて銜へ煙草で腰に競馬新聞の給仕は、もう遠い過去。朝早く通りかゝると店の前の路上で牛肉を棒で叩きすり潰し牛肉丸捏ねてゐた頃が懐かしい。たかだか牛丸河なのに、なぜ此処まで気張るか……付加価値の増大、で資本主義なのかしら。永成撮影器材。 リコーのGR Digitalは液晶モニタがファインダー代りなのは他のデジタルカメラと一緒だがアタシはどうも、あのモニタを眺めながら写真を撮るのが嫌。姿勢も緩く表情が間抜け。でやつぱり写真は「ファインダーを覗いて撮るべき」で、だからGRともなるとユーザーにはさういふファインダー主義の方が多いから専用のファインダーが用意されてゐる。でアタシは初代のGR Digitalの時からファインダー(GV-1)を使つてゐたがGR Digital IIを入手の際にファインダーも新種のGV-2に替へた。ら、同じ28mmでも小さくなり機能的で「よろしからう」と思つたら、小さくしすぎて視界が狭い。見た目も初代(GV-1)のづんぐりむつくりが愛嬌があつたのに比べて二代目は遊び心がない。自動車でいへばフォルクスワーゲンでビートルからゴルフに乗り換へてしまつたやうな感じ。で我慢して二代目使つてゐたが、どうしても楽しくない。で先日、永成の陳列棚に初代が一個ポツンと置いてあるのを見つけて「買ひ」と思つた次第。店員にGV-2つけたGR Digital II見せると店員君曰く「見づらいでせう」と。「さうなんだよね」とアタシ。絶対にこつち(GV-1)、と店員君。「……でしよう」とアタシは「よくぞ在庫があつた」と漏らせば「最後の一個だから」と店員君が笑ふ。「譲つてよ」とアタシがねだり「もちろん」と答へる店員君にアタシが「ありがたう」と礼を言ふ。主客の立場がまるで逆だがアタシはかういふ買物が好き。で本日ご購入。小さなファインダー一個で安いデジカメが買へると思ふと「馬鹿/\しい」と思はれようが、これが道楽。さうしてまでほしいくらいGV-1は可愛い。ジムで一時間の有酸素運動尖沙咀。Z嬢と待ち合はせ早晩に香港文化中心で映画『フィッシュストーリー』観る。予想以上に面白い。しかも業界のシーンや世代的に「かぐや姫のライブのLPで逆回しすると女性の声で……」とか「岩崎宏美の曲を……」とか当時、噂話を聞いてゐた世代なので余計に「あつた、あつた」と笑へる話が多い。この広がるだけ広がつた話が何処でどう収斂されるのか?と気になつたが、最後の最後で「あ、かういふ筋」とよくぞ纏まつた。たゞ、諸々の話も「最初に結末ありき」のため予定調和的で各時代の登場人物たちの会話がすべて「その結末のための説明に聞こえる」(Z嬢の談)。多部未華子ちやんが「私、理数系なんです」といふ一言とか。映画観る客たちも三、四十代は同時代的に日本の軽チャーが身に滲みてゐるから映画の展開に拍手喝采で大笑ひ。日本の、かういふ「思想のない」世界はなんて楽しいのかしら。映画終はつて尖沙咀のIndian Placeに印度料理食す。映画を観る前から「今晩は印度料理」と決めてゐたもので、けして映画の筋で印度が活躍したから、ではないのだが。帰宅。文藝春秋一月号読む。天皇皇后両陛下御成婚五十周年紀念特集。同誌で映画「おくりびと」の原作である「納棺夫日記」の著者、青木新門氏の手記(インタビュー?)読が興味深い。著者は冠婚葬祭の会社でのアルバイトから納棺を専門とするやうになつたのだが、冨山の浄土真宗の世界で親鸞と出会ひ、その教へに開眼したところがあり、映画ではその親鸞から学んだといふ「いのちの光」の部分が一切説かれず而も舞台が山形となつたことに対しての不愉快がある。あの納棺といふ仕事が真宗だからあゝして(あくまで映画で見たイメージだが)家々に受入れられていつたのか、といふ気がする。東北では青木氏の指摘通り納棺があゝは儀式化しまい。ちなみに香港も明治に本願寺大谷派)が寺を開き布教開始。他の宗門の信者でも受入れ易いところで海外普及の多くが浄土真宗の由。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

RICOH 外部ファインダー GV-1 172780

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