六月廿四日(日)晴。朝の五時過ぎに目覚めてしまった。昨日の朝日(国際衛星版)に掲載されていた加藤周一の夕陽妄語「戦記再訪」読む。保元・平治物語の話から「叙事詩……殊に戦いを語る叙事詩の本質が、その成立時点において過去の事実を記録することではなく、現在の環境を、概念的でなく、直接に、直感的に、把握するための知的道具を提供すること」として、叙事詩は「事実をそのまま利用すると共に、極端に誇張し、想像し、空想する」と言う。昨日入手のベートーヴェンの7番を聴く。7番、といえば「のだめ」で突然、日本でポピュラー。アタシも当然、7番はCDで持ってもいなかったのだが「のだめ」であれだけ聴かされ(といっても第1楽章の主題だけだが)耳に残り、ちょっとちゃんと聴いてみたい、と思ってHMWでちょいと覗いてみたら7番だけ、なんてCDは当然「ない」わけでカラヤン(伯林)とバーンスタイン(維納)のベートーヴェンの交響曲全集あり。カラヤンの全集はずっと聴いてもいないが母に中学校の卒業式の日に買ってもらったLP版があり、バーンスタインと維納の方を購入。バーンスタインのほうが「のだめ」のミルヒ先生(フランツ=フォン=シュトレーゼマン)の印象に近い、ということもある。まぁバーンスタイン先生とミルヒ先生ではご本人の相手の「好み」は違うが好事家という点では一緒であろうし。で昨日の日剰綴り朝食済ませ新聞も凡そ読んでしまって午前八時。昼までプールで泳ぐ。体重が軽くなったので泳ぐのも多少は楽? 水中での浮力と体重は関係あるのかしら。昼に尖沙咀の天祥撮影器材でライカのカメラ皮カバー(Ever Ready Case)購入しちまう。内緒。午後、上環で頼まれ仕事のお手伝い。ジムに一浴して帰宅。靴磨き。ドライマティーニ一杯。山崎のロック飲みながら揚げたてのコロッケいくつも食す……と書くと肝硬変っぽいが大量のキャベツでソースなんてほんの少し。ご飯はカレーライスの時くらいしか炊かぬ最近の食生活。晩九時過ぎには睡魔に襲われ朦朧。
▼昨日、行政長官「自称政治家」Sir Donaldが組閣の人事発表。あたしが二十日に綴った、早く巷に流れた人選と凡そ変わりなし。世渡り上手で「橋王」の異名とる政務司の許仕仁は離職(政務司の経歴活かし今後もコンサルタント業で大儲けか)、後任に唐英年で、その財政司の後任はSir Donald子飼いの曽俊華。教育統籌局長のアーサー王・李國章は期待通り実質上の更迭で離職。民政事務局長は北京中央の顔色伺いか元「大公報」編集長(副社長)の曽徳成が抜擢され「とばっちり」くいoutは董建華に抜擢されこの職にあった眼科医の何志平。何のコンサートだったか(確か昨夏のデュトワ先生指揮の広東省の夏季音楽アカデミーのコンサートだったか)あたしの隣の席にこの人あり巨体ゆゑ身体小さくして。今回の人事異動で一番の驚きは羅范椒芬が辞職での廉政専員に湯顕明を抜擢。湯顕明といえば葉劉淑儀が保安局長で基本法23条立法推進の際の腹心。葉劉淑儀の更迭で税関のトップに移動で難を逃れたが、まさか廉政専員に抜擢とは。廉政専員といえば政府の汚職摘発の政治的敏感な独立職で羅范椒芬といい湯顕明といい北京に忠誠誓える人たち。保安局など適任だろうが廉政専員向きとは言い難し。
▼沖縄県議会が22日、沖縄県議会で集団自決「軍関与」で与野党一致。日本軍が住民の集団自決を強制したという記述削除の教科書検定に抗議の意思表示。沖縄の約9割の市町村でも同様の意見書を可決。県議会では自民党は「命令、という言葉が入るなら反対」と難色示し「軍の関与」で妥協、自民党の県議会議長(当時8歳)が
200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたためだった。家族は「死ぬ時は一緒だ」と壕を飛び出した。
公明党の県議も「軍しか持ち得ない手榴弾が配られ、それによって多くの住民が自決に追いやられた」と指摘。県議会閉会後に握手する護憲ネットワークの議員と与党公明党の議員。沖縄は真っ当。文科相は「大臣として検定に介入しない」と逃げ口上。安倍三世は昨日訪沖。糸満市の平和記念公園で沖縄の戦没者追悼式に出席。午前10時48分に那覇空港着で午後2時25分には帰途に。沖縄での滞在3時間半で前日のこの与野党前回一致の集団自決に関する決議に何を思ったか。ちなみに安倍三世は東京に戻り、その足で新宿ヒルトンの村儀理容室で散髪。一旦公邸に戻り晩にストリングスホテル東京のチャイナシャドーなる食肆で夫人らと会食。散髪と晩飯の時間のほうが沖縄滞在より長いとは(まぁ「政治家の床屋」ほど密談か、怪しい時間も他にないのだが)。
▼ヤンキー義家弘介・教育再生会議担当室長が自民党から参議院選挙立候補。「転向」という言葉もあるが数年前まで日の丸・君が代強制に反対していたが「節操がない」という点ではこの人に勝る者なし。将来文科相かしら。それに比べて同じ自民党で大仁田厚議員が「参院は首相官邸の人気取りの道具ではない」と公認候補辞して政界引退。
▼新聞の弔報に「増田通二」という名前を見て「ビックリハウス」と咄嗟に思いだし何十年前の微かな記憶に辿りつき自分で驚く。享年81歳。元パルコ会長。渋谷のパルコといえばこの人、だがアタシにとっては『ビックリハウス』の萩原朔美、榎本了壱、高橋章子が編集長なら増田通二はいわばプロデューサー。当時、渋谷パルコにマップハウスという輸入物の地図やミシュランなど洋物の旅行ガイドなど扱う店あり。トーマス=クックの時刻表を初めて買ったのはこの店だったか神保町の三省堂だったか。同じフロアにあった書店はリブロポートだったか、レニ=リーフェンシュタールの写真集『ヌバ』やロバート=メープルソープ、ベルナール=フォコンなどなど多感な年頃に刺激的。祖母や母に連れられ新宿は墓参り、買い物は銀座、何か食べようと浅草、で渋谷は自分が一人で歩くようになった東京の原体験。アート系の書籍を沢山眺めて頭がクラクラしたままパルコを出てスパゲッティの壁の穴。東急ハンズで小遣いと相談しながらの買い物。数年経ってタワーレコード。更に80年代後半にはパルコやLoftには足を向けることもなくなり頻繁に東急文化会館か(笑)。
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