富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月廿五日(月)昨晩は十時半に寝入ったのに今朝起きたら六時半。子どもの如く八時間も寝てしまったが熟睡は心地よし。アタクシの拙い写真はFlickrに保存公開しているが、このFlickrすら中国では見られぬことを10-0-0.netで知り驚く(だが対応策もありの由、こちら)早晩にジムで小一時間トレッドミルで走る。身体が軽くなり6min/kmで走っても平気。トレッドミルでこの時計だと実際の10kmロードレースなら55分くらいでいける鴨。ただこの冬までこの体重維持できれば、の話。帰宅してドライマティーニ一杯。山崎のハイボールとカレーライス。胃潰瘍なんてやるとカレーライスが食べられる程度のことにしみじみと有難み感じ入る。NW9見ていると食肉の偽造、年金記録問題など「安全な日本」は「安全なはず」の日本で実際には「安全じゃない」。安全性とか正確さであるとかが「美しい日本」の売りのはず、だが。年金の記録の件では、過去30年に渡っての年金の記録……しかも転職数多し、なんてなると実際に有効なのは結局、国民総背番号制度。国民年金も個人番号とかあるのだろうが厚生年金からの移籍であるとか雇用主が変わった場合の連続性であるとか、そういうことに対応するには「たちどころに個人記録の認識可能な」生涯番号制しかないのだろう(個人的には反対だが)。
▼この夏の猛暑は、NHKのNW9ではこのまえまでサミット取材で「地球温暖化」と深刻な顏をして伝えていたのに、「今年の夏は暑いです」「その経済効果は」なんて秋葉原の家電店のエアコン売上げ増だのビアガーデンの賑わいだの、おまけにビール増産で「ビール缶のアルミニウム製造まで経済効果があるのです」ってエアコンにせよアルミニウム缶製造にせよ電気消費で結果的に地球温暖化じゃないの? 取材と主張に一貫性すら欠ける。ところで麒麟麦酒社だと思うが、この取材に対応した職員が瓶ビールの「大瓶」を「ダイビン」と呼んでいた。「大きな瓶」なら「おおびん」で、この読み方が通例になっているが訓+音で所謂「湯桶」読みだと思うと「ダイビン」の方が音が良いし、もしくは訓で「おおがめ」だが「大甕」みたいで誰も読めないね、これぢゃ。
▼テレビのニュースにエルトン=ジョン先生が記者団に囲まれ映っていたので相変わらず人気で華やかだこと……今度は「同性の愛人の発覚か、離婚か?」と思ったら北朝鮮IAEA国際原子力機関)実務代表団の受け入れ? えっ、と思ったらこのIAEAの訪朝代表がエルトン=ジョン先生に似ていただけ。
吉田秀和先生じゃないが「新聞を読みたい」と思えない時も多いが時々、珠玉の如き文章に接するから読まないわけにはいかぬ。朝日新聞参院選挙記事で「改憲は争点か」と瀧井一博(憲法史・兵庫県立大学教授)と森達也(映画監督)が語る。滝井教授は憲法を「理想論」で語るのがいい。そんな机上の空論ぢゃ、と保守反動の方々には嗤われるだろうが。
いまの日本国憲法は不幸なイデオロギー構想の渦中にあり、国民を統合するという本来憲法が担うべき役割を果たしていない。(略)安倍首相は今年1月、憲法改正参院選の争点にすると宣言した(が、略)安倍首相がやろとしているように、一政党の党首である首相が個人の政治信条を強調し、国政選挙の争点として掲げることによって憲法改正を進めるという手法は、健保制度のあるべき姿にそぐわない(略)。仮に、ある政党が「改憲選挙」と位置づけた国政選挙が、05年の郵政選挙のような盛り上がりをみせ、その党が圧勝して憲法改正を主導したとしよう。そうやってできた憲法が、果たして国家百年の計を担い得るだろうか。一つの政治勢力が他の勢力を抑え込むような色合いを帯び、新たな「押しつけ憲法」になってしまう危険もはらんでいる。憲法の改正とは、いわば国民共有の「神話」を作り出す営みだ。憲法の作成に携わる人たちは、国民が依拠し得る新しい国家の理念を提示してもらいたい。そのためには、様々な主義主張をもった人々が一時的にせよ党利党略を棚上げにして、国益という観点から手を結んだという姿勢が不可欠だろう。この憲法、ひいてはこの国は、党派を超えて作り出されたものだ、という神話が生み出されてはじめて、憲法改正は意義のあるものになる。
……と。明治の初めの五日市憲法も、敢えて言えば大日本帝国憲法も、そして現行の戦後の「押しつけ」日本国憲法も「国民が依拠し得る新しい国家の理念」としての神話的な理想論。この瀧井教授の指摘を読めば、いかにキョウビの安倍改憲が胡散臭いものか、は明らか。で森達也氏も平成の加藤周一と呼んでいいほど見事な理詰め(ってまだ周一先生は平成の世も筆は冴えているが)。自民党改憲の草案にある現行憲法9条2項「戦力不保持と交戦権の否定」について
今の時代の空気や世相では、「自衛」を名目にして9条2項の変更を容認すべきではない。なぜなら、戦争や虐殺の本質は、まさしくこの「自衛」にあるからだ。(地下鉄サリンや9・11テロや拉致などを契機に)漠然とした恐怖や不安が、この10年ほどで急速に高まった。殺人事件自体は60年前前後に比べると大きく減っているのに、メディアの報道で増幅された「体感治安」が悪化し、「危機管理」を求める意識が高揚した。この「知らない他者」に対する恐怖や不安に耐えられず、人は「知らない他者」を仮想敵に設定し、自衛の意識を燃料にして先に攻撃しようとする。(略)ならば、自らの過剰な自衛意識の発露を抑制し、さらに自らが「仮想敵」にならないためにはどうすればよいか。その戦略を具体化したのが9条2項だ。(9条は丸腰平和な性善説ではなく)憎悪と報復が連鎖する今の世の中では、ラジカルで実践的な対抗原理なのだ。改憲論者は、自衛権を放棄するのかと言うが、自然権である自衛権を放棄などできない。自衛の手段としての武力行使を否定するのが9条だ。(略)憲法とは主権者である国民が統治を委託した国家を規制するものだ。だから「制限規範」であり、私たちの理念でもある。安倍首相は理解しているのか。「国民支配の道具」という感覚ではないか。危機管理意識が高揚するのに伴い、難しいことは敬遠され、善悪や真偽で割り切る単純化や簡略化が進む。(略)単純で据わりのいい結論や早急な判断が求められる……そんな空気が充満する中で、改憲が争点になるのは危険だ。
……安倍首相は理解しているのか?、は御意。「危機、危機と佐々」の佐々淳行に読んでもらいたい(って納得するはずもないが)、の一文。
▼南洋商業銀行の創設者で名誉董事長の荘世平氏逝去。今月二日。享年97歳の大往生。1911年に潮汕に生まれ北平(北京)で大学卒業後にタイに赴き教育や報道に従事しつつ華僑組織して中国の抗日戦争を支援、戦後香港に渡り人民共和国成立直後の1949年12月に香港で南洋商業銀行を創設。銀行に五星紅旗を掲げ、これが香港で初めて掲揚された五星紅旗の由。当然、親中派資本。で生涯、中国の経済発展に尽力。左丁山氏の書くところに拠れば、亡くなる前日も97歳で実務、深?で仕事済ませ理髪、晩も自宅で食事のあとに入浴し夜遅く寝室に入り按摩椅子に坐ったが不調訴え救急車で病院に運ばれたが不治。人柄と品性の良さ、清貧さ、無私公正で倹約家とこの人を誉めるに言葉は欠かず。親中派資本家で家族興隆にはいくらでも途はあろうが自らも身分に比べれば薄給に徹し、息子は運転手で糊口凌ぐ。左丁山氏も、贈収賄や特権享受に溺れる国営企業幹部や上海の高級公務員に比べ、この見事さ、と。御意。これだけの人ゆゑ葬儀も葬儀委員長は董建華、副委員長にSir Donald、高祀仁(中央人民政府駐香港特別行政區聯絡?公室主任)、マカオ行政長官・何厚?、李嘉誠らが並び、総議員は香港政府や親中派資本家ずらりと並ぶ。左丁山氏は、亜州週刊が前週に報道するまで、この荘世平が(親中派の所謂「紅い資本家」であったにせよ)戦後、中国共産党の香港の地下党員の領袖であったことは露とも知らず、と。

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