富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-05-25

五月廿五日(金)先考の生きておれば75歳の誕生日。朝、新聞を眺めているとSCMP紙に今晩の香港シンフォニエッタのコンサートがピアノがJean-Claude Pennetier(ジャン=クロード=ペネティエ)急病で来港能わずC?dric Tiberghienセドリック=ティベルギアン)なる若手に交代と知る。ペネティエでサンサーンスのピアノ協奏曲2番を聴こうと思った香港シンフォニエッタの演奏会なので残念ではあるが、このセドリック=ティベルギアンなる30歳のピアニストが1998年のLong-Thibaud(ロン=ティボー)国際コンクールで優勝し彗星の如く登場のけっこうな腕前と知り(耳学問ならるネット学問だが)期待できる鴨。ちょうど20日に北京でロン=ティボーのギャラコンサートがあり、それを済ませての来港か。北京でロン=ティボーのギャラというのは差し詰め、ピアノの国際コンクールといえば中国からの参加者増こそ「狙い目」で、そのマーケティングとしてのギャラコンサートかしら。早晩に中環。いくつか用事済ませ(って場外でMark 6の30回連続の籤を買ったりするだけなのだが)久々にFCCで一飲。此処のバーのウヰスキソーダは黙っているとFamous Gooseなのだが唯靈氏が信報の随筆で氏がカティーサークという題でウヰスキーについて語り若い頃はカティーサークかなり飲んだが(飲んだ場所がGo Downという、60年代から90年代初頭まで、その後、一瞬、10年ほど前にCitibank Plazaに再開し数年で閉業、Go Downというのが当時知る者には懐かしい食肆なのだが)今でも好きなのはJ&Bである、と書いていたのを思いだし(カティーサークといえばやはり桃井かおりだよな、なんて懐かしいが)J&Bなんて何十年ぶりかしら、でウヰスキーソーダ(氷なし)で頼んでみたがあたしはあまり好きではない。で二杯目はBloody Maryの氷なし。何を頼むのも「氷なし」なので(冷えるのだが、身体が)給仕がすっかり覚えてくれたのが安心。Z嬢来て軽く夕食。食欲がない時のあたしの好物のアイリッシュ=シチュー。市大会堂。で香港シンフォニエッタの音楽会。音楽監督で指揮者の葉詠詩が演奏前に語るにはペネティエが手の神経痛?で休演決まったのがわずか三日前。で今宵の開演まで奮迅のスタッフ、楽団員に葉女史が敬意評したのも納得。セドリック=ティベルギアンに白羽の矢が立ちペネティエが演奏するはずであったサンサーンスのピアノ協奏曲2番が、セドリック=ティベルギアンの出演で急遽差し替えとなった曲がプロコフィエフのピアノ協奏曲3番。そりゃ一日、二日ではかなり難儀もしたであろう。で今晩の一曲目はLam Fungという1979年生まれの香港出身の若手作曲家の“Illumination”なる曲。まるで聲明の如き曲だが寝てしまう。セドリック=ティベルギアン君登場し(ホロヴィッツの如き長身と大きな手)プロコフィエフのピアノ協奏曲3番が始まる。それにしてもなぜプロコフィエフの3番なのかしら。突然のピアニストの抜擢で合わせる時間も極端に限られ、しかも失礼な言い方だが一流のオケだって難儀なところをシンフォニエッタの限られた条件で、なのだ。第一楽章の、あの舞台を引っ繰り返すが如き展開は怒濤の如く過ぎゆく。ティベルギアン君が強引に引っ張った感じ。葉詠詩という指揮者はソリストにうまくオケを合わせることは巧妙。たださすがに第二楽章“Tema con variazioni”(テーマと変奏)は合わせてせいぜい二日(だろう)のリハではこのオケには難度Cであろうし金管が弱いところが露骨に出た感もある。最終の第三楽章はもう、この突然のティベルギアン君とシンフォニエッタプロコフィエフの3番の共演が大団円的に収まった感あり。客もかなり拍手喝采でティベルギアン君はアンコールの声に応え仏語でさらさら、と何を言ったのかわからぬが辛うじて英語で“FIre Works”と聞き取れドビッシーの2つの前奏曲集から「花火」(...feux d'artifice)を披露。とても早い第一主題。さらに喝采がおきてアンコール2曲目で弾き始めた曲はやはりコテコテのドビッシーだとはあたしにもわかったが、香港では演奏後ロビーにアンコール曲の曲名速報なんて出ないから「あの曲は何だっけ?」で溜飲下がらぬこと多く、その「ドビッシーの何か?」は今晩の一曲目の“Illumination”よりさらに宗教的に黄泉の国の如き境地の曲。Z嬢が確かドビッシーの「塔」か曲集「映像」の一曲か、と指摘していたが帰宅して調べるとご名答でドビッシーの「映像」から「荒れた寺にかかる月」(Et la lune descend sur le temple qui fut)であった(たぶん間違いない)。休憩はさみ後半はセザール・フランク交響曲ニ短調だったのだが、ちょっと今晩はこのプロコフィエフの3番とティベルギアン君のアンコールでのソロのドビッシーの2曲で終わりにしたい、とZ嬢と意見まとまり会場を後にしてしまう。
▼信報の随筆で黄珍?という書き手がDVDで見たという小津の「秋刀魚の味」について語っていた。
元来、日本のその頃の映画では「簡略」の手法が多く見られ物語は明らかに婚礼についてなのだが、話は婚礼の前の、娘が嫁にゆく前の賑やかな状況から一転して婚礼のあとに父親が自分の同窓生を連れ家で酒を酌み交わす状況へと飛ぶ。
なんてそれなりの書き出しなのだが、驚いたのは、
父親役の老人は演技がコチコチのアマチュア俳優のようで、どうにか一つの表情をつくるにも難儀。セリフも覚えきれてないのか一つ一つの言葉がどうにか思い出したように出てくる感じなのだ。私のまわりにもいる、こうした老人は何か尋ねても言葉がかえってくるには数十秒かかり空気は死んだようで忍び難い。だが「秋刀魚の味」のこの老人は、表情に欠けセリフの口跡が悪くても、人を感動させ、まるで自分の父親を見ているようで……
って、これって笠智衆のことか。結果的にこの書き手が感動してくれたのは小津の目算通り、か、老け役なのだから笠智衆(当時、58歳)の演技がこう「否定的に評価」されるのもいいことなのかも。

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