富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-05-26

五月廿六日(土)曇。気温摂氏32.5度。無風。不快極まりなき猛暑。自宅にて雑用済ますうちに昼となる。昼に素麺。さすがに食欲も失せる暑さ哉。午後、九龍でM君と会い茶を喫す。M君、今月初旬にご尊父急逝、明日が火葬、葬儀で今日から福建の親戚などの世話など忙しい由。労ひ。九龍で用事済ませ燈刻、尖沙咀。ライカM用の接眼視度補正レンズの購入。利き目の右目は−4.5くらいなのだが左目は極度の乱視で最近は老眼もあり眼鏡の視力を0.8くらいに抑え日常生活には不自由もないが(何か遠くを見る時のためにはEschenbachの一眼鏡など携帯)、さすがに写真を撮る時に、殊にライカの小さなファインダー覗く際には眼鏡も煩わし。本来なら−4.0くらい欲しいところ−3.0が最大。で久々にDavid Chan氏の店を訪れる。さすがに新品屋でも正規代理店でもないので補正レンズはなく懇意の同業者にすぐ尋ねてくれるが−2.0しか現品なし。これじゃ眼鏡つけたままでもあまり補正効果なし。David氏に「この人も日本人よ」とレンズ吟味中の方を紹介される。渋い。眺めているのがライカでもLマウントのエルマー50mm/f3.5なんてレンズなどご覧になっている。あたしの補正レンズ届くまでちょっと雑談。ライカにはミノルタCLから入られM4をずっと愛用された由。旅行などの際にぶつけても気にならないM4の頑丈さ、と。御意。M6ですか、とあっしのライカを覗かれる。レンズはズミクロンの50mmととても初心者な組み合わせ。恥ずかしいが仕方がない。実はEpsonR-D1sのデジタルからMマウントのレンズに入りライカMに辿り着いたのです、と告白すると「そういう入り方もあるんですねぇ」と驚かれる。そうだろう。この方もライカのウイルスに罹られ重傷っぽい。マカオで仕事されている建築家。それでライカでもバルナック型なんて使われるとしたら格好いい。カメラ屋で客どおしがライカ談義という、たいへんオヤジ的な時間を過している場合ではなかった。補正レンズ、だ。でライカの正規代理店である天祥撮影器材に向う。が補正レンズは在庫なし。で最終的に尖東のフランシスコ撮影器材へ。ここには補正レンズの在庫あることは先日、確認済みなのだが、香港でおそらく最強のライカ取揃店だがどうもあたしゃこの店との相性悪い。店主が無愛想に思える。さきほどお会いした建築家氏も同感であった。だが背に腹はかえられぬ。相性の悪い店の暖簾くぐるのが云々などと言っていては補正レンズ一つ入手できぬ。で−3.0を当ててみるが−3.0でも裸眼では微かに不鮮明だがピントが合わせられぬ事はなく眼鏡通して見れば格段の鮮明さ。でこれを入手。御店主は相変わらず無愛想なようで休日の営業時間を尋ねるとようやくちょっと微笑んだ。実際、さきほどDavid Chan氏の店での言い値よかフランシスコのほうが安値。そりゃ近隣の店からの現品調達と正規代理店の違いで比べようもないのだが。ところでDavid Chanの店でちょうどM6に先日この店で購入のズミクロンの50mm(正確にはあたしの同レンズの所持品を買い取ってもらい差額補填し上品入手)がちょっとピント合わせのリングの回りが悪い。でDavid Chan氏にそれを告げると勿論、修理屋に出す、と言われる。一週間かかるから置いていきなさいよ、と。で「その間、代替のレンズ要る?」とご亭主。車検している間の代車じゃないんだから(笑)。売り物のレンズ借りて下手にキズでもつけようものなら買い取りか、と思うとぞっとする(一ヶ月の小遣いでも賄えぬのだ)。で無事、補正レンズ入手して帰宅。夕食で智利のBaron Philippe de RothschaildのEscudo Rojo(03年)を飲む。ユニーでも売ってる、香港で100ドル台の葡萄酒としてはあたしゃ満足。晩8時よりRTHKの4チャンネル(FM)で昨晩の香港シンフォニエッタの録音放送あり。このシンフォニエッタ音楽監督で指揮者の葉詠詩という人指揮者ではあるが、プロデューサーとして今後かなり期待できるのではないか、と思う。いい意味で常識的でありバランスのとれる人なのだから。C?dric Tiberghien(セドリック= ティベルギアン)君のドビッシーのアンコール2曲も流れる。「花火」はドビッシーが1900年の巴里万博での花火のドーンと上がって満開から得た印象という話も聞く。セーヌ川がさしずめ江戸の大川のような感じか。だと思えば次々上がる花火の印象なら、あのテンポも理解できるかも。それにしてもドビッシーという人、土人の少年の踊り、とか巴里万博でいったい何曲作っているのかしら。アンコール2曲目は曲紹介でやはり「映像」の第2集から、で「荒れた寺にかかる月」であった。セザール・フランク交響曲ニ短調は好きな曲でもないし(これをベルリオーズ幻想交響曲と並び仏蘭西的な交響曲とする見方もあるがあっしにはわからねぇ)昨晩も聴かなかった判断はそれはそれで正しかった、と録音を聴いて思う。芸術家と常識、で突然思い出したが有吉佐和子の『中国レポート』という紀行文集で1978年の四人組逮捕直後の北京での話なのだが偶然に小澤征爾と会った話。中国中央楽団を振る小澤征爾との晩餐で、有吉佐和子は「郭沫若逝去」という、まだ報道前の特ダネを得ていたのだが小澤征爾は「誰、その人。どういう人? 偉い人?」で小澤征爾に同行していた母親のほうがよっぽど興味を示し、小澤征爾は自分の振るブラームスの二番が文革を経たこのオケにとって初めてのブラームスとの出会いでありブラームスについて何の音楽的知識もない楽団にどうブラームスを演奏させるか、が目下の重大事。それで当然。長嶋茂雄もおそらく郭沫若は知らない。

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