富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-05-14

五月十四日(月)憲法改正に向け国民投票法案の与党案が参院憲法調査特別委で与党の賛成多数で可決。安倍政権の横暴と左翼的に批判は簡単だが国民の信託に基づき(おそらく三人中一人だけ、で一人は反対、だが残り一人は何も考えておらぬから賛成にまわる)国会は今の自公の安定多数があるわけで、致し方ない。厳粛にこの事実受け止めるばかり、で早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅して強制リセットにウオツカをストレートで一杯流し込みBowmoreをちびちび舐めて気持ちを落ち着かせる。最近、酒量が多いなぁ……とちょっと自分でも心配になったのが文藝春秋六月号でNHKで紅白プロデューサーであった矢島敦美さんが書いた「女王・ひばりが号泣した夜」を読んだため。文藝春秋というのは一言で言えば「凄い雑誌」。岩波書店の『世界』が「読まなくても何が書かれているか」わかる理性なのに対して、「売れる」雑誌の基本は何かといえば「いったい何が書かれているのか読みたい」と読者に思わせること、そして読者の鬱憤を晴らすこと。それに用意周到であったのが菊池寛であり、文藝春秋は売れる。「赤い資本が続々と日本上場 日本乗っ取り 中国企業リスト」など文春的には「楽しそう」。日本資本が八十年代に米国などで何をしていたのか。当時「イエローモンキーが米国占領」などと書かれたらどう思ったか。所詮、センセーショナリズムが菊池寛の基本なのだが。石原都知事夫人の選挙戦振り返った手記もあり。
夫がいちばん辛そうだったのは、都議会で共産党民主党から一方的に理不尽な攻撃をされても、じっと黙っていた時でした。(略)今回、自分の行動だけでなく、家族のことや、適任だと思って四男に手伝わせたことを批判され、ひたすら我慢し、堪えたのだと思います。
……って、この都知事に一方的に理不尽な攻撃をされてどれだけ教員など辟易しているか、この都知事夫人にはその痛みもわからぬのだろうし、都知事が身内に都のかかわるプロジェクト手伝わせたことは、その手伝わせたことぢたいより不透明な資金提供が問題なのに……。石原軍団といえばかつては裕次郎石原プロであったが今ぢゃ慎太郎ファミリーこそ石原軍団か。
▼その文藝春秋山本夏彦に仕えた編集者らが夏彦回顧談。そうそう、と夏彦先生が「ごめんくださいませ」の「ませ」を嫌い、ありゃ高島屋が京から東都に進出して店員に「ませ」を使わせたからの普及で東都ではもともと「ごめんくださいまし」だ、と。そういえば日本橋生まれの祖母も「いらっしゃいまし」と言っていた記憶あり。
▼その文藝春秋の書評で岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン』取り上げているのだが一読して驚いたのは戦前の日本にも貧富の差があり「最近の日本について、あまりにも近視眼的に「格差社会の到来」を論じる識者が幅を利かせているだけに、ぜひご一読を」と勧めるのだが、この書評だけ読んだら「そうか、格差は何も今更の問題じゃない」と読者は思ってしまうだろうが明らかにこれは誤謬。経済的格差に関しての昔と今の違いは、何よりも、当時が貧乏であろうが富裕層であろうが「目指すところ」があったのに対して、現在の格差は勝ち組と負け組の明らかな差異と「目指すところ」の共有がもはやできないこと。
▼その文藝春秋福田和也が「昭和天皇」連載中。震災の逸話に折口信夫のことあり。琉球で民間伝承の取材から横浜に戻る。歩いて東上すると芝増上寺のあたりで抜刀した青年たちに取り囲まれた信夫。彼は額に痣あり吃音で関西弁とあっては青年らの尋問に答えるほどに彼らは信夫が朝鮮人かと激昂し危うく殺されそうになる。信夫は『自歌自註』のなかで
その表情を忘れない。戰爭の時にも思ひ出した。戰爭の後にも思ひ出した。平らかな生を樂しむ國びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。
と嘆く。この時の歌は
國びとの心さがる世に 値いしより 顏よき子らも 頼らずなりぬ
少年だった清水幾太郎も市川の練兵場で東京の焼け跡から帰ってきた兵隊が
私が驚いたのは、洗面所のようなところで、その兵隊たちが銃剣の血を洗っていることです。誰を殺したのか、と聞いてみると、得意気に、朝鮮人さ、と言います。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂には聞いていましたが、兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした。 『私の心の遍歴』
このような時々、えっ、これが文春?みたいな記述があったり、井上ひさし永六輔が登場していまうところも文藝春秋の間口の広さか。

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