富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-05-13

五月十三日(日)午前中ジムで一時間有酸素運動。バスで帰宅途中に『世界』六月号読む。愛国心など教育の右傾化、石原三選、憲法改正先の大戦での沖縄の集団自決……等々、全て世の流れに対する憂慮であり反対であり而も全て劣勢ときては「読んでいて悲しくなる」ばかりで「読まなくても書かれているであろうことがわかる」という点では「売れぬ」雑誌(菊池寛的な売れる雑誌がこの対局にあり)。昼過ぎZ嬢と、606番のバスで九龍に渡るには此処が便利、と北角七?妹道の水餃姨姨で餃子。バスで牛池湾。地下鉄の駅は「彩虹」なんてどうでもいい名前だが牛池湾には高層団地群に囲まれて辛うじて牛池湾村が残り市場と商店街で賑わう。牛池湾文娯中心で香港のDaniel楊春江君や日本の池田素子らによるHomeless Dance Companyのダンス公演観る。Daniel楊春江や池田素子は04年だったかにLittle Asia Dance Projectだったかでアジア諸都市回っており素晴らしいダンスであった。今回は一部メンバーが変っているがダンスカンパニーを組織してのメルボルンから香港、そして台湾への公演。東京、ソウル、台北、香港とメルボルンの異なった背景のダンサーがまるで終戦直後の戦災孤児のように空間で遊び続ける、そういうコンセプトのはっきりしたダンス。小さな創作舞台だったが子どもとかにもっと見せたら面白い。夕方、バスで新蒲崗。取り壊される寸前の城壁村・衙前圍村をもう眺めるのも最後か、と散策。九龍城公園抜けて九龍城市街。ぶらぶらとタイ食材の店など眺めていたが今日油断できぬのは「母の日」。先週末よりすでに飲食業界は母の日繁盛で(今日の新聞だったかに飲食業の「母の日」売上げは11億ドルとか出ていたが香港の人口で割ったら1人あたり150ドルは大袈裟だろう)日曜日はかなり早い時間から混雑し始める九龍城の、とくにタイ料理屋は今日は殊更「爆満」が予想される。親孝行はいいがクリスマスでもヴァランタインでも本来宗教的、祝祭的行為がすべて商行為に飲み込まれ<消費>に収斂されるところがあたしは個人的には不愉快(文化人類学的には祝祭が商行為に発展するのは事実なのだが)。この「母の日」を警戒し午後五時過ぎに、いつも行く金蘭花タイ料理屋に入ったが、すでに二、三卓は母親を連れた早めの夕食の家族連れで、午後五時半すぎには満席。あたしらが席を立った六時半すぎにはこの金蘭花も他の飲食店も多くが路上に空席待つ家族連れで溢れているのだった。金蘭花も隣に分店設けたと思ったら同じビルの楼上にも部屋を設けたようで九龍城の飲食店の絶好調ぶり象徴するが如し。バスで帰宅の途についたがすっかり寝入ってしまった。
▼昨晩寝際に岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン』読了。しばらく目を庇い寝際にあまり本を読めず。まだ完治はしておらぬが少しマシ。で岩井彰氏は共同通信の記者で十年前、香港返還の頃の香港支局長で面識もあり、の方。その人が戦前日本の普通の人の生活感覚(懐具合という言葉のほうが似合うだろう)を、彼らの収入が平均でいくらで、それでどの程度の生活が出来て、家賃がいくらで娘を嫁にやればどの程度の費用がかかったか「ミクロ情報に徹した」調査。なぜ中国情勢専門の岩井氏がこんな手のかかる徹底した文献調査を始めたか、といえば岩井氏自身が戦後生まれ育ちで「永井荷風や内田百?や谷崎潤一郎を読むたびに細部でつまずき、向田邦子の作品でさえよくわからいことがたくさんある」の最たる例が月給百円の価値がわからず「甲種商業卒」はどの程度の学歴なのか知らず、家賃二十円の家が安いのか高いのか見当もつかなかったから、と言う。確かに。天皇機関説柳条湖事件は知っていても、だ。で岩井氏は仕事が休みの週末に国会図書館などに通い徹底した文献による調査。ネット時代にここまで書物に基づいたミクロデータの蒐集というのも本当に珍しい。余りの徹底した詳細データが続くことに多少興味あっても食傷気味となる読み手も少なくなかろうが、これは著者が「ミクロ情報に徹した」というのだから。むしろそれに徹したことで、とんでない戦前日本の(具体的には東京だが)懐具合の集大成が出来上がってしまった感あり。

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