富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-10-31

十月卅一日(火)腰痛。早晩に帰宅して読書。ドライマティーニ一杯。読みかけの『世界』十月号、Business Traveler誌10月号、英Economist誌先週号や雑誌の切り抜きなど読む。
朝日新聞大岡信折々のうた」に石井辰彦
もみぢ葉の染むる出湯に若者は腰をひたせりぼんなうの午後
という歌が紹介される。大岡先生は
『七竃』(昭和57)に所収。歌から見ると、この青年は美しい自然界に取り巻かれた景勝地の温泉にいるのであろう。色づいたもみじに紅く染まっている出湯に、若い肉体を腰までひたして、たぶん物思いにふけっている。結句におかれた「ぼんなう(煩悩)の午後」は、この青年が広い風呂場でひとり「煩悩」の思いにふけっていることを暗示している。今までこの欄にあまり登場してこなかった題材の、珍しい歌だ。
……と。なるほど珍しい。それに可笑しい。大岡先生もわかっていないのか、とぼけているのか。本文の「たぶん」以下は大岡先生は「わかっていて敢えて嘘書き」。そう「普通に」読む人はそう読んでください、で結局「今までこの欄にあまり登場してこなかった題材の、珍しい歌」を紹介したかった。きちんと歌を紹介しようと思えば下記のようなのは如何?
作者齢十九の砌り『七竃』(昭和57)に所収。自然に煩悩は似合わない。露天風呂の、若者の煩悩はふつうなら混浴か隣の女湯に因る。だが作者の視線は若者の肉体に向くところが、この歌の特異。「出湯に腰をひたす若者」という写生的表現から、若者自身の煩悩とは思えない。温泉で美しい裸の若者に出会った、詠み手自身の煩悩か。自然が突然、エロスとなり、それもまた自然。
とか如何だろうか。
▼岩波『世界』十月号より。よく朝日新聞とか『世界』からの詳細を引用するが、前提として「誰も読んでいない」ための幾許かの紹介のつもり。実家も朝日新聞購読しているが先考の法事に「ちょっとお線香を」と寄っていただいた方が母との茶飲み話でふと卓袱台の新聞に目をやり「朝日なんて読んでるんですか」と驚いていた、と(笑)。そこまで左傾紙、赤色新聞と思われているのかしら、確かに余の知る限り読者かなり少ない。香港で他人の家訪れ(その機会すら少ないが)朝日があったのは皆無。日経4、読売3、聖教新聞と朝日が1.5ずつくらい? で、『世界』となると「つくる会的な」旭屋で店頭販売するはずもなく定期購読者もかつてご老人(台湾人だろうか、何となく)が一人いただけで誰も読んでいないだろうから紹介。
(1)まず和田春樹「安倍晋三氏の歴史認識を問う」。安倍三世の『美しい国へ』読んだ和田春樹、深読み十分で安倍三世が父のことは「父晋太郎」と名を呼ぶのに岸信介については「祖父」というだけで名前をつけず。和田先生曰く、父は一人だろうが祖父は二人だろうが、と。しかも安倍晋太郎二世議員で(妻が岸信介の娘)当然、晋三から見た祖父もいるのだが、この本でどこに祖父が出てくるか、というと第七章「教育の再生」で「家庭が離婚により子どもが苦しむ事例」として晋太郎の父・安倍寛氏のことが三行書かれているだけ。「戦時中、翼賛選挙に抗して軍部の弾圧うけながら代議士を続けた」闘う代議士がどうして安倍三世に頭の中では岸信介だけが理想像として入っていて安倍寛については語られぬのか、と。安倍寛明治27年山口県に生まれ東京帝大法科卒業し東京で事業始め晋太郎生まれた数年後に離婚。昭和3年普通選挙実施で衆院に立候補するが落選。昭和8年故郷の日置村村長。その職のまま昭和12年総選挙に無所属で出馬し当選。同じく初当選に赤城宗徳三木武夫あり。東条内閣で大東亜戦争開戦の翌昭和17年の翼賛選挙に無所属、非推薦で立候補し激しい選挙干渉受けるが当選。この選挙に同区で岸信介は東条内閣の商工大臣で翼賛推薦で立候補しトップ当選。安倍氏当選後は三木武夫国政研究会組織し東条内閣の戦争政策批判。昭和18年には元法相・塩野李彦囲む木曜会で活躍し東条内閣退陣求め戦争反対、戦争終結の運動起こす。戦後は日本進歩党に加わり昭和21年選挙準備中に52歳で他界。当時、晋太郎は東大の学生。晋三君がこの祖父に親近感持たぬのは当然かも知れぬが「ことは政治の問題」と和田春樹。
このような二人の「闘う政治家」を祖父にもった以上は、今日の日本に生きる政治家として、日本の歴史を引き受けるさいには、決してどちらの祖父も無関係な者として切り捨ててはならないのです。安倍寛氏の歴史は岸信介氏の歴史とともに、われわれを形作っているのです。そのことに直面し、考え抜くことが政治家としての安倍さんにとって必要ではないかと考えます。岸信介さんの闘いだけをモデルにするのでは、今日の日本の政治を担うのには明らかに不足するところがあるといわざるを得ません。
(2)山口二郎「総裁選から見える自民党の末期現象」も凄い。冷静な政治学の教授とは思えないパンクロック。小泉長期政権は
旧来の自民党に対する国民の嫌悪。疑似社会民主主義の崩壊。自民党の粛清。政治における意味空間を破壊。日本の民主政治にとっての最大の災厄。単純化された一般的なプロパガンダ。公信不能の断絶や亀裂。他者に対しては挑発的な言葉を発しつつ自らは心の中に引きこもるという状態。ポスト小泉の人材不足や政策構想能力の欠如。小泉は耐用年数の切れかかった自民党を五年間延命させたにすぎない。野党と対立するよりも自民党内に敵を想定し、これと対立することで政治ドラマを演出。野党の存在はかすみ、小泉は常に舞台の中央にいることができた。小泉は自民党という山はもうすぐ崩れると騒ぎ立てながら、この山に残った砂利を売り払って儲けてきた。もはや否定すべき敵、売る砂利もなくなった。国ぐるみで棄民政策小泉改革はタマネギの皮をむくようなもの。「わが亡きあ後に洪水は来たれ」と言わんばかりの投機の政治。(以上、原文抜粋「。」で区切る)
(以下、結句)小泉というシンボル、雰囲気を吸引することでつかの間、自民党は元気になるという錯覚を得た。その意味では、小泉は薬物のようなものである。この薬物の効果が切れたとき、自民党は禁断症状を起こすに違いない。安倍に父親殺しができないならば、より過激な言説をはくことによる人気取りというもっとも安易で、日本にとってはもっとも有害なやり方をとるか、中身のあることは一切語らず、官僚依存で政策の矢縫を続けるか、どちらかしかないであろう。まさに日本の民主政治の正念場である。
(3)その(2)の山口檄文の中で社会学者・佐藤卓己のメディア論が紹介されている(北海道新聞夕刊八月十七日よりの引用)
メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味ではコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディアの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。
(4)今月号の特集は「石原都政8年の検証」。佐藤学「教育政策」で、これまでも石原教育改革はかなりアタクシも綴ってきたが初めて耳にして驚いたのは「石原都政のもとで都内の学校において体育教師の校長が増加し、今や四割以上の校長が体育系教師」だそうな。「もちろん体育教師の校長にも優れた校長は存在する。しかし、いくら何でも体育教師が校長の四割以上を占める実態はいびつ」と佐藤教授。御意。もともとはノンポリ、体育会系の右翼学生が大学当局の側にたち学生運動鎮静に役立った昔から彼らは体制の方針には順応しやすいのかしら。そして「つくる会」の教科書採択した杉並区教育委員会は「不審車対策」で教師全員に催涙ガス常時携帯義務づけたそうな。恐ろしいかぎり。清水雅彦「治安政策では」
石原都政における治安対策は、確かに「全国初」のものがあるが、全て石原の発想で展開しているわけではない。東京版新自由主義改革である「都政の構造改革」を進める都庁官僚と、その帰結による「治安の悪化」に対処する警視庁が、強権志向の石原と共に展開しているといえる。警察としては東京の取組を全国のモデルとして活用できるし、石原を前面に出すことで警察肥大化批判をかわし、石原の差別主義や道徳好きは外国人・青少年対策で活用できる。したがって、石原個人批判だけでは不十分であり、「治安の悪化」をもたらす新自由主義改革を転換していかなければ根本的な解決にはならない。
(5)もう一つ、武居秀樹「石原都政を誰が支持しているのか」も面白い分析。03年の二期目当選では石原の「差別的な体質や危険性を承知」した上で「都政に限定してリーダーシップを期待する」という二重思考の出来る賢い?309万都民、得票率で史上最高の70.21%を得た石原。女性、60歳以上の支持率が高いとか、自民党公明党支持者の得票が多い(民主党共産党は少ない)のは当然、と思うが、この分析はかなり緻密で、例えば所得でみると高額所得者と低所得層、零細商店集積地などで石原知事高いことや、23区別では支持率他高いのが中央(75.59%)筆頭に墨田、台東、千代田、江戸川、荒川、葛飾と皇居から城東にかけて集まっており、反対に石原得票少ないのが杉並(67.98%)から板橋、文京、練馬、北、世田谷、中野、新宿、豊島、目黒と見事に城西(都庁から西)に反石原ベルト地帯が形成されている。文京区が高所得者多いなかで唯一石原支持が低い例外。
▼Business Traveler誌10月号の06年の読者投票結果。シンガポール航空が最優秀エアライン、最優秀亜太区エアライン、最優秀Fクラス、同Cクラス、同Yクラス、チャンギ空港が最優秀飛行場、最優秀免税品販売、シンガポールが最優秀ビジネス都市に選ばれる。シンガポール万歳!
▼香港政府教育統籌局常任秘書長・羅范淑芬(羅太)が政府汚職取締独立機関の廉政公署(ICAC)廉政専員に任命される。今年の年初に数万名の教師ら終結し「羅太下台!」と抗議受けたほどの嫌われ者。政府の行政主任(AO、上級公務員級)で順調に出世続け97年香港特区政府成立時の行政長官弁公室主任。運輸署署長、教育署署長、教育統籌局長と要職転々とするが董建華による問責制導入で教統局局長重任拒み局長には当時、香港中文大学学長であったアーサー李國章が就任、羅太は教統局常任秘書長に収まる。教育制度改革のなか教師相次いで二名自殺した際に自殺の原因が教育制度改革にあるのなら「なぜ自殺者がたった二名なのか?」だの董建華不支持の世論が高まると「中学生が行政長官不支持主張する資格はない」などと発言続け、この人の資質かなり疑われる。が兄が中信泰富(CITIC)の榮智健の片腕でMD、政府の行政会議メンバーでもあり、その後光もあり。中国政府にはかなり好印象とか。で今回の廉政公員への抜擢。本来は政府の汚職摘発が職務だが羅太の専任就任で蘋果日報なども「羅太任専任、廉署恐變「東廠」」と大見出し。東廠とは明代、永楽帝の御世、北京に置かれた特務機関(http://ja.wikipedia.org/wiki/東廠)のこと。
民主党元党首で立法会議員の李柱銘氏が信報でジョークについて語る。お堅い弁護士出身ながらしばしば立法会の議会の場でも巧妙なジョークを飛ばす李柱銘氏、一度、新嘉坡の李光耀将軍様が香港の外国人記者倶楽部での講演突然取消し。その代役引き受けた柱銘氏、演題に敢えてPress Freedom(報道の自由)選び開口一番“Mr. Lee Kuan Yew loves to press freedom”と。「報道の自由」と「自由の弾圧」の掛け詞。さすが。

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