九月三十日(土)晴。朝七時半すぎ、開け放った窓から「起来、起来、起来〜!」と中共国歌が風にのって聞こえてくる。眼下の小学校の校庭に児童整列し児童代表による国旗掲揚をば直立不動の姿勢で眺めての国歌斉唱。全校朝会終わりクラス毎にきちんと並んで教室に向う迄を眺める。97年までは英国統治でこんなこと何もしておらなかった学校が今では愛国教育の装置として立派に機能。学校側にしてみれば「やっておけばいい」程度の国旗国歌の毎朝の儀式で「国家を認識することはけして悪いことじゃない」程度の認識なのだろうが<国家の意図>を刷込まれる子どもにとってはたまったものぢゃないはず。だが愛国心の涵養のために近代国家において公教育が誕生したと思えば当然の、わかり易い光景か。午前中ジムで一時間の有酸素運動。昼すぎから別のジムに移り一時間筋力運動。午後遅く小雨あり。薮用済ませ尖沙咀。ペニンスラホテルのバーでハイボール二杯。先週末は維納フィル奏者が凭れていたバーカウンターもひっそり。他の客に気遣いもなくパイプ一服。Z嬢と待ち合せ四、五年ぶりだろうか、でWein Stubeに。ワルシュタイナーの麦酒と腸詰、キャベツの酢漬。この店は地味な独逸酒場で簡単な料理も供す。バーには独逸のオヤジ多いが隣宅は偶然に日本人家族。聡明そうな子どもの関心ある話題がJRの常磐線の特急で、そういえばこの店を紹介されたのもH製作所のM氏であったこと思い出す。HK Culture CentreのStudio TheatreでCCDC(城市當代舞踏團)の舞踏「ニジンスキー」観る。今回はこの舞踏団に長期にわたり客演する?亮(Xing Liang)による振付でニジンスキー役は陳宜今(Chan Yi Jing)。精神を病むニジンスキーが回想する形でセルゲイ=ディアギレフとの運命的な出会いやBallets Russesでの日々、ストラヴィンスキの「春の祭典」初演での「記念すべき不評」など回想しながら更に病んでゆく態を描く。だが「二十世紀のバレエを二十世紀初めの僅か十年で決定づけてしまった」ほどのニジンスキーを描くことがどれほど難しいことか。抽象的ではあるがニジンスキーの生涯をある程度知る者にならわかりやすい舞台装置、全裸を含めかなりnudityを効果的に演出に加えたり、と配慮も見られるが<ニジンスキー>をテーマにすることはあまりにも大それたこと。バレエを踊る場面となれば、そりゃCCDCの踊り手がいくら鍛練してもバレエダンサーでないから踊りは雑になるし、この舞踏団の群舞は女性陣はいいが男性陣はどうも群舞となると指先、爪先までの「踊り手全員の総意としての」神経の集中に欠けるところあり。今回は?亮本人は舞台に上がらず、ただし公演のポスターやパンフレットは?亮による踊りの姿。?亮の一人舞踏でも良かったのではないかしら。台湾の雲門舞集の林懷民ならニジンスキーをどう演出できるか、などと考えると面白いが彼は「手がけない」ことは確か。帰宅して1:1のウオツカレモン飲む。久々に「モンテ=クリスト伯」の第三巻を少し読む。
▼巴里には千の単位で日本から応援に人が向っているディープインパクト馬の凱旋門賞について須田さんが「競馬から遠い媒体、特にテレビ番組で「当然勝つ」くらいのムードが醸成されている」と書かれている。日曜深夜の終電も終わった時間の、後楽園での凱旋門賞中継で司会をする須田さんは「慣れない馬場で走る海外遠征」なのだから「まずは無事に、というのが一番大切」であり「シリウスシンボリの頃、誰が「日本調教馬が3強の一角として凱旋門賞に出る」なんてことを想像しただろうか」と思えば「良い着順はまぐれで手に入ることもあるが、良い人気順はそれまでの積み重ねでしか得られない」のだから「結果に関わらずディープインパクトは既に賞賛されてしかるべきものを残している」と。須田さんといえば須田さんがこよなく愛する香港の太子(Prince Edward)地区も旺角に続いて地価高騰で「再開発」の波に襲われ老朽化進んだ建物がかなり解体の由。安くて美味いもの屋系の行く末案じられるばかり。