富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-09-23

九月廿三日(土)快晴。午前、ジムで一時間の有酸素運動。昼すぎ別なジムで一時間の筋力運動。午後遅く高座。尖沙咀。ペニンスラホテル。土曜早晩でバーカウンターのいつもの隅席も酒飲み四人組あり。馴染のバーテンダーも苦笑。ハイボール二杯。その酒飲み四人組、ドイツ語で話しているがどうやら維納フィルハーモニック交響楽団の制作監督者ら。話の節々に音楽関係の固有名詞あり、そこだけは聞き取れる。明日からの二晩の公演にて来港の由。来週末に帰国のT君夫妻とペニンスラホテルの旧館屋上でのBBQビュフェに食す。もはや肉をむしゃむしゃと食すも厭われ、ほんの数切れ箸をつける程度。米国人の男女、前菜から魚介、肉類と次々と皿に大盛で「これぢゃ日本が戦争に負ける」と思う。デザートはかなり堪能。美味しゅうございました。今日二度ほどタクシーで不快な思い。一度目は車内に持ち込んだキャリングケースが車内とはいえ大きさが規定超過だとHK$5の超過料金取られ(縦横奥行き計120センチ以上の場合、のはずで帰宅して大きさ図ると110センチ以下であった)、もう一つは、帰宅の際に尖沙咀より搭乗の香港島行きであるはずのタクシーに海底隧道の料金を往復請われる。香港に戻る車なら片道だろうがっ!と拒んだが「そんなこと関係なく往復だ」と慇懃無礼な運転手を汚い言葉で罵りドアを蹴り開けると運転手「ヤヴァい客」と思ったらしく慌て降りてきてトランクよりキャリングケース出すのなど手伝う諂い。不愉快。
▼昨晩NHKの番組で「趣味の達人」紹介する薬丸君司会の番組(番組名失念)をぼんやりと見ていたら「新聞の号外」の蒐集家の御仁登場し何千という号外を集めた氏にとって「幻の号外」が1939年1月場所4日目(1月15日)に双葉山が安藝ノ海に敗れ連勝が69節男に敗れるまで69連勝を記録。この日の号外を探す氏が東京で当時の双葉山の連勝を見ている、という筋金入りの相撲好きの老人らに集まってもらい幻の号外の有無など確かめるのだが興味深い話は、そこに集まった老人の一人が号外が配られていたのをあたしは見た記憶がある、という逸話。この日、その方は六代目の道成寺を見に父親に歌舞伎座に連れて行かれ、道成寺が始まると「聞いたか、聞いたか」の科白でお馴染の所化の坊主役の一人が「落ちた、落ちた、双葉山が落ちた」と即興で語り、これで歌舞伎座にいた客の間で双葉山の連勝の止めに「おーっ」とドヨメキがあがった、と。それで芝居が跳ねて歌舞伎座を出ると双葉山連勝止まる、の号外が配られていた、という話。本当にこの日に六代目菊五郎歌舞伎座道成寺を踊っていたか……まで調べないといけないのだろうが、「聞いたか、聞いたか」「落ちた、落ちた、双葉山が落ちた」で銀座で外で号外配られる、はじつに絵になる話。
ローマ法王ベネディクト16世の講義での発言(12日)、イスラム教徒からの反発、という話。今ごろになり発言の要旨読む。14世紀末にビザンチン皇帝がキリスト教イスラム教について語りジハード(聖戦)を「ムハマンドが新たにもたらしたのは邪悪で冷酷なものだけ」と言及。これを引用し現法皇は「暴力は理性に従わぬ行動であり、不合理で神の本性に反する」と述べ、それが反発招いた由。この発言読みこの部分以上に気になったのが「西洋では実証的な理性のみが普遍性を持つとしてきた。しかし世界の諸宗教は、理性の普遍性から神聖なものを排除することを、最も深遠な信念に対する攻撃とみる。理性を広げることで、私たちは諸宗教を対話の相手に招くことができる」というところ。このヴァチカン=理性、普遍性、神聖という至上主義。

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