富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月六日(水)秋篠宮家に男子ご誕生。皇太子殿下夫妻の心中如何かと思ふばかり。(知己のN氏曰く)皇太子妃雅子様はこれまでその知性、教養、キャリアなどすべて否定されるが如く子作り求められ、それから解放されお健やかに、と。御意。(畏友M君曰く)まさか皇太子妃に来年、男子ご誕生で逆転サヨナラホームランってこともなかろう。これで「決まり」か。陛下、皇太子殿下、秋篠宮様のご長寿で今後皇位継承がどうなるかわからぬが(築地のH君曰く)今上天皇陛下より皇太子殿下までは保守本流のいわば宏池会的なのに対して秋篠宮様に「皇室の小泉」的な改革路線の予感あり。皇室に詳しいT君は、昔なら新皇孫殿下は即座に引き取られ東宮妃の正子として養育されるもの、さなくば帝王学は身に付かず。長子と次子以下との意識断絶が皇室そのもの。かつて有栖川宮からの高松宮への祭祀をば継ぐ秋篠宮様高松宮墓中の墓碑銘も御自ら揮毫するほど高松宮への私淑。兄へ、皇位へ対する特異な思ひもあろうものか。天皇皇后両陛下が戦後の子育ての中で旧来の皇室の伝統にとらわれず三子にあえて隔てなく三子に接してきたことも何らかの形でお子様方の意識形成に影響あり。皇太子殿下より秋篠宮、そのお子への皇位継承が今後どのような展開見せることか、と。この秋篠宮高松宮有栖川宮に遡るT君の話、興味深く聞いてふと覚えるは今回の秋篠宮妃の親王出産は広尾愛育病院。この病院が皇室と縁深きは病院設立が昭和9年に昭和天皇が皇太子(今上天皇)誕生を祝し下賜金を基に設立の恩賜財団母子愛育会により4年後に開設されたのが愛育病院三笠宮妃百合子殿下が同財団の昭和23年より永く総裁を務められる(朝日の社会面の記事、一見、三笠宮妃が同病院の総裁のようで紛らわしいが病院は同財団の一組織で代表者は院長)。ここまでは周知の事実だが興味深き縁(えにし)に気づく。愛育病院は有栖川公園に隣接。旧有栖川宮邸の敷地の一部。しかも古い話ではあるが大正2年に有栖川威仁親王薨去により男系後継者のおらぬ同宮家は断絶となったが威仁親王は明治期に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の東宮賓友命ぜられ皇太子より17歳年上の威仁親王は明治帝と皇太子の親任得て東宮輔導役となり嘉仁親王の教育、人格形成に大きな形跡を残し(このへんについては原武史大正天皇』朝日選書に詳しい)、有栖川威仁親王の逝去を深く哀しんだ大正天皇は第三王子の宣仁親王高松宮)に有栖川家の祭祀継承させる。高松宮妃喜久子親王有栖川宮威仁親王の娘實枝子女王が公爵徳川慶久に降嫁し生んだ娘、というわけで高松宮にとっては祭祀授かった有栖川家の末代威仁親王は母方の祖父にあたる。で、その有栖川宮邸の敷地は昭和9年(今上天皇ご誕生、恩賜財団母子愛育会創設の年)に高松宮家より東京市に下賜され一般開放されたのが有栖川公園。偶然か否か有栖川宮から高松宮秋篠宮と続くこの史実。更に有栖川宮家といえば末代となる威仁親王の兄・熾仁親王戊辰戦争から軍役に巧じて日清戦争で陸海軍の総司令官。熾仁親王は後継の子がなく(尊攘思想では名高き水戸藩主・徳川斉昭の娘・貞子を妻としたが死別し旧越後新発田藩主・溝口直溥の娘、董子再婚)、異母弟の威仁親王は別の宮家創設か臣籍降下するはずのところ、熾仁親王は生前に、弟宮を後継者にすることをば明治帝の許し得ており威仁親王高松宮家継ぐ。この威仁親王も明治7年に皇族として初めて海軍軍人を志した人で海軍兵学予科編入学し10代で英国留学し海軍学をば修め18歳で帝国海軍少尉に任ぜられた海軍士官。後に大正天皇の指南役となるのだが、この宮様は息子の栽仁王をもうけたもの若君は海軍兵学校在学中二十歳の若さで逝去。で有栖川宮家は耐える。高松宮も海軍大佐で(昭和天皇高松宮を主戦派と考えたようだが海軍的リベラル軍人であったともいう)子どもに恵まれず。で喜久子親王の逝去により宮家断絶。世継ぎなき有栖川宮高松宮の両家の念願がまさに秋篠宮で叶うが如し。で本日の日本はそういった秋篠宮に至る明治からの皇室の因縁など考える暇人はおらず「晴れやかな気持ち」の国民さぞや多かろう。早晩に滑り込みで帰宅しNHKの7時のニュース眺める。30分以上に渡り男子親王ご誕生。宮内庁の金澤一郎皇室医務主管の記者会見での多弁が印象的。お目出度という事もあろうが一見して「神経質はダメよ」と描いたような表情の、どこか和む風貌のこの御仁、東大医学部教授、同付属病院院長、国立精神神経センター所長歴任。精神内科の権威と言われ、下々の民草なら心身症になるであろう重圧ある皇室において皇后陛下失語症からの回復に功あり、当然、皇太子妃の病からの回復にも深く関わる医師であろうと納得。秋篠宮妃の分娩室から出た際の夫君への第一声が「帰ってまえりました」というのも意味深。まさに一億の期待担っての任務遂行からのご帰還か。札幌にご公務中の陛下は国民に「どうもありがとう」と語り、壇上で一歩下がり深々と頭お下げになったことだけにはさすがのアタシも感極まる。それに比べ巷では新聞の号外の奪い合いの喧騒(香港ディズニーランドの中国人観光客のマナーの悪さ非難できようか)、小泉三世は官邸入りの際に歩きながら片手挙げ「よかったね」と宣いインタビューでは「赤ちゃんの誕生」と言ってのける。晩のNW9では安倍官房長官のインタビューが小泉首相に放映先行。失礼な話。ニュースでは「学習院に近い目白の商店街や駅前では……」とお祭騒ぎの様子伝える。目白と耳にすると中井英夫『虚無への供物』読んだ所為かすぐに目白不動江戸五色不動、中国の五行説……と想像ばかり膨らむが秋篠宮夫妻と目白不動真言宗豊山派金乗院)、五行まではさすがに関係も浮かばず。で明日は木曜日。小泉内閣メールマガジンにまた一つ嬉しいトピックスとなる。世の中、本当にこの木曜日発行のメールマガジンに合わせたように吉事は水曜日までに起きて凶事は木曜、金曜となる。
衆議院議員河野太郎君はメールマガジン皇位継承に関する議論の活発化を求める。天皇が男系であること、祭祀が男でなければならぬ理由、祭祀続けることはどういう意味があるのか、やめてしまうことはどういう意味があるのか、科学的な調査の必要性、天皇陵墓もきちんと調査する必要があるだろう、と。言いたいこともわかるが、そう何事も明瞭にすればいいのか、できるか、という気がするのだが。かりにこんなことがすべて解明されたら、皇位継承の問題どころか天皇制など根拠もなければ必要性もない、という結論にいたりゃせぬか。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/