富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月七日(木曜日)昨日の国民挙っての晴れやかな気持ちに予定調和的に今朝、小泉内閣メールマガジン届く。小泉三世のお祝いの言葉があるものの小泉三世は夏の外遊の亢奮醒めやらずお祝いは数行だけ。期待外れ。朝日の一面の片隅に安倍総理が大戦評価につき「村山談話踏襲明言せず」とあり。祖父の加担した戦争、そう易々と「多大な損害と苦痛を与えた」などと「痛切な反省」と「心からのお詫び」など言えもせず「歴史家に委ねる」などと言葉を濁す。そういう人が首相なのだ(まだ、だけど)。だが確かに間違いなく対中韓関係は政治は狡いから好転する。それで我々は「安倍さんで良かった」と安堵して近代を超克してゆく……。小泉さんだの戦後生まれの安倍さんに昨日この日剰に綴った中井英夫の「実話」をば是非にと読んでもらいたい。
(以下、橋本治っぽく……)今日の朝日新聞橋本治ちゃんが「天皇制ゆっくり考える好機」って、どうせタイトルは新聞社側がつけたもので味も素っ気もないのだけど(それにしても、せめて「天皇家と近代の天皇制の狭間で」くらい欲しいよころ)、橋本治「寄稿」、とある。寄稿というのは新聞社が「橋本先生、秋篠宮での男子親王についてひとつ書いていただけませんか?」に応じたものじゃなくて治ちゃん自身が「書こう」と思って新聞社に寄したものが寄稿なの?と思って朝日新聞広報部に電話で尋ねたら「寄稿は新聞社が依頼して書いてもらったものです」とのお答え(投稿とは異なる)。だけど辞書には「原稿を新聞や雑誌に送ること」(岩波国語)、「原稿を新聞・雑誌などに載せるように送ること」(広辞苑)で、やっぱり意味的には筆者が能動的に送った場合だと思うのだけど新聞社が「ひとつ書いていただけませんか?」を「寄稿」としてしまうのは、そういえば大江健三郎とか江崎玲於奈とか入江昭とか、格の高い人にかぎってだし、つまりは、新聞社にしてみれば「これは本社の見解ではありません」の逃げ口上にもなるし、新聞社の「こんな高名な人が寄稿してるのだぞ」という勝手なハクづけ?なのかも。そういう意味では桃尻だった治ちゃんも文豪の仲間入りなのか、なんて考え込んでしまったのだけど、そういうことじゃなくて今日のテーマは皇位継承なわけで、テーマがテーマだから治ちゃんもいつものアロハシャツじゃなくて写真ではネクタイにスーツ姿だ。橋本治は<近代>を見据えている考える人だから「問題は天皇制の存続を決定した「近代」の方にある」とか天皇制が乗り越えるべき課題は実は「国民の中の「思い込み」にも由来する」という指摘はさすが。だけど橋本治ほどの人が、えっなぜ?と思ってしまう言葉の混同があって、例えば「1868年の明治維新に始まる近代よりも、天皇制のほうがずっと古い」というのは本当は「1868年の明治維新に始まる近代よりも、天皇家のほうがずっと古い」でしょう。天皇<制>こそ明治の<近代>に作られた制度であって昔からずっとあったのは天皇<家>というもの。「天皇制は明治より以前にはなかった」のだ。制度なんていうのはいつでもすぐに作れるけど<家>だから天皇家となると何百年も何千年もかけて紡がれてきたもの。だから勝手に編み直しができない。勿論、橋本治だから「皇位の継承とは、実は「天皇家の存続」が前提にあってのこと」とか「天皇家とそれに連動する天皇制」なんてきちんと認識が出ている箇所もある。だけど皇統断絶の危機を「遠い昔に何度かあって、天皇制はそれを乗り切ってきた」として「近代をそれを十分に学習していない」なんて指摘を読むと、朝日新聞の読者も「そうなんだ、天皇制は超歴史的な実在なのだ」と思ってしまうかもしれない。橋本治なら、そういう誤謬を否定すべきだし、「天皇家よりも<近代>の方が問題で、そういう近代固有の天皇家のあり方が天皇制である」と言わなければいけない。なぜ、あれほど言葉づかいに厳密な治ちゃんが、こんな思想的には初歩的な<家>と<制度>の混乱をしたのか。治ちゃんに期待するのは「一人の男の子が生まれたこと」が<家>の紡ぎ、<制度>そして<国家>にどう作用するのか、ソコの醍醐味だし、その男の子が生まれなかった時、その男の子が「僕は結婚なんてしたくないんっ!」って言い放った時に<家>はいいけど<制度>がそれにどう対応しなければならなくなるのか、それが読みたいと切に思うのだ。
新聞全般を眺めて、この男の子誕生と皇位継承については朝日も読売もさほど論調に違いもなし。産経も「東京の理性」都新聞も見るべき記事なし、と築地のH君。ただし都新聞が皇室典範改正論議を「先送り」「当面回避」とするのに対し産経は「白紙に戻せ」と主張がせめてもの産経らしさ、か。一つ新聞で面白かったのは読売新聞の桜井よしこ女史の「女系容認は文明の否定」というもの。これは橋本治を「天皇制ゆっくり考える好機」で済ませてしまった朝日の安易さに比べ、本文読まずとも「女系容認は文明の否定」で櫻井女史が何を言いたいのか明確にわかるのだが、それでも文章はやはり読んでみると「すげっ」の一言。「なぜ天皇は男系でなければならないのか」という問いに「その伝統とは何かという答えは、神話の時代から男系によって脈々と受け継がれてきた点にこそ求められる」として「天皇制が続いてきた何十世紀という歴史の中で、私たちの祖先は、男系天皇を軸とした価値観を積み上げ、日本の文化、文明を築き上げてきた。この伝統を否定することは、この国の文化や文明を否定すること」ともはや極めてカルト(笑)。掲載する読売も読売だが。神武天皇以来、今年は皇紀2666年脈々と皇位が継承されてきたとカルトが信じるのは自由だが、例えば天智天皇の御世に親政あっただろうが甥と叔父の間で王権巡り内乱となるように、これが千年を超える制度とはとても言えず。櫻井カルト女史曰く「民主主義国家では侃々諤々の議論を交わしながら物事を決めていくのは当然だ。しかし、国家の大事に直面したとき、核になる存在がなくては、国民はバラバラになる」から「日本では政治にその役割を求めるのも難しい」ので「有事の際に、国民の精神的な支えとなることが、昔も今も、万世一系天皇に期待される点だ」と。この昔というのは昭和の軍国の時代のことか。それ以前に天皇が「有事の際に国民(こんな言葉もなかったが)の支えとなる」なんてことは歴史上一度もない。明治維新とて薩長ら勤王派が京都の天子様をば担いだだけで東北だの九州だの「天皇って誰だ?」で事実、明治になっても天皇御幸などより西本願寺法主様ご来臨に人々がひれ伏し拝んだ事実。それを、たかだか明治20年頃からのたかだか120年余の<近代>で、これほどのカルトが育まれ伝統だの文化だのとよくもしゃあしゃあと宣うもの。ただただ呆れるばかり。晩に秋らしく茸の炊込み飯など食しNHKのNW9を眺めておれば二十歳の女子学生殺害の十九歳の青年が山中にて自殺しており死体発見される、と報道あり。犯行直後の犯人は何処に逃走したのか?の大袈裟な報道に「もう自殺してるわよ」とZ嬢の一言思い出す。好いた惚れたか殺したいほど愛らしい、てな話か、はたまた猟奇的殺人か、は存じ上げませんが、そりゃ肉親、親しい方にはお気の毒だが江戸の昔から近松、南北と相手を殺して自害する、こういう話はおゝございまして……と圓生。それをNW9のキャスター男女は「このやり場のない哀しみを」「加害者の死去で事件の真相を探し当てることは難しくなりましたが少しでも事実が解明し」だったか、結局、事件の真相解明は、それが昔なら芝居で演じられ「へぇ、まったくまぁ可愛そうに」が今はテレビのニュース番組「報道」が実は芝居見物と同じ役割を果たす。ケーブルテレビの他局で「料理の鉄人」放映されており早口な英語に吹き替えで英語で話す道場さん見ていたほうが気休めにはいい。晩遅く中井英夫全集2巻『黒鳥譚』より小編「麁皮」(麁の字は正しくは「鹿」を3つ)と「蝿の経歴」読む。「麁皮」は英夫が急逝府立高校二年の時の戯作。
蘋果日報毛沢東逝去三十周年で特集記事連載始める。米国プリンストン大学東アジア研究系のPerry Link教授の毛沢東論の紹介。70年代に左傾のLink青年は中国語を学び文化大革命の中国訪れ「為人民服務」の中国の政治的洗脳の実態に触れる。その後、現代中国研究続けたが、現代中国研究=毛沢東とは何か?でありLink博士は最終的に毛沢東を1割の成功と9割の錯誤と判定しヒトラーホロコーストで600万殺したのに対して中国での毛沢東路線での死者が2000万人として、その独裁政治を断罪する。余は毛沢東政治をけして肯定せぬが、歴史に「もし」が許されるのなら、かりに毛沢東が不在であったなら、もっと平和に繁栄したのか、それとも内乱的混乱続き2000万人以上の命が犠牲になっていたか。誰もわからぬ。かりにシュミレーションで後者だったとしても、それで毛沢東肯定はせぬ、がそう易く否定はできぬ。毛沢東という人の凄さは一つの例が、北京で周恩来梅蘭芳宋慶齢、茅盾といった政治家、文人らの故居を巡ると何処の書斎にも壁にかかる書は郭沫若郭沫若のその見事な筆にただただ見惚れるのだが北京の四合院のなかでも美しさでは格別の、その郭沫若の故居の書斎、そこには郭沫若の書の見事さとは全く異なる竜神の如き書が掲げられ、それが毛沢東。廿世紀の中国代表する知識人・郭沫若の筆は美しいのだが、その美しさも毛沢東の天を駈けるが如き書には太刀打ちできぬ。毛沢東は、長嶋茂雄と同じく、我々が価値判断で解決できるような問いではないことだけ確か。
http://www.princeton.edu/~eastasia/faculty/eplink.shtml
▼香港政府のCentral Policy Unitの政策立案顧問を革職され05年の6月に信報で返還後の香港政府の政策諸問題につき連載発表し話題となった練乙錚氏(http: //zh.wikipedia.org/wiki/練乙錚)。その後静かに読書人としての暮らし続けるとは聞いていたが久々に今日の信報に「讀梭廬記」という文章寄稿。米国の19世紀の作家Henry David Thoreauhttp://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)取り上げ田園文学について語る。ソローという作家の本は読んだこともないが日本の今でいえばC.W.ニコルであるとか玉村豊男だろうか。ソローという作家の生き方が喧騒さけひっそりと、まさに今の練乙錚そのものなのかもしれない。練氏の文章は政治評論しか読んだことなかったが長文の田園文学譚もさすがの才人ぶり。

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