富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-24

閏七月初一。来週水曜日が今年二度目の七夕となるが七月の閏年は次は2044年だそうで余にとっては年に二度の七夕は今年が最後か。書斎が冷房ではとても寒く扇風機購ふ。中環で外装お披露目のマンダリンオリエンタルホテル眺めば、「もう終わったな」のチープさ。プレハブが如き外装、もう少し配慮できなかったものか。チープといえばスターフェリーの新しい埠頭も、現在の埠頭のシンプルな美しさを劉健威兄は簡潔雅淡と形容したが、それに比べ新埠頭は中環市街より遠く不便な上にディズニーランドの「開拓時代の米国」の如きチープな光景。あの場所ではもう香港国際映画祭の開催期間中の市大会堂と尖沙咀の文化中心との15分での往来はもはや無理。香港の最も大切な資源であるヴィクトリアハーバーの埋立の醜悪さよ。早晩にZ嬢と香港大学美術館訪れる。香江冷月:香港的日治時代という歴史写真展見る。鄭寶鴻氏の写真コレクション。日本軍による占領関係の写真は大半が「一億人の昭和史」でお馴染、毎日新聞の提供。その他では陳照明なる人の蒐集の写真興味深いものあり。ところで日治期に香港の主だった地名が日本語にされし経緯あり彌敦道は香取道と呼ばれしが展覧の記述には香取通がKoshuとあり音読みでは確かに「こうしゅ」だが「かとり」だろう。ネット上で捜せば朝鮮語のサイト(こちら)にNathan路? ??? ???「とっとりどおり」?とあり。「かとり」が正解(のはず)。1945年1月に今は日本人多く住む太古城にありし造船所爆撃の空中写真あり。米軍による攻撃。日本軍占領の香港をば米軍が攻撃の写真初めて見る。写真展終わり帰ろうとすると樓上よりY総館長の声が聞こえ階段昇ればやはりY総館長の姿あり。Y総館長の自室に通され暫し物語す。この写真展のカタログなど頂く。美術館出ようとすれば雨。台風の警報も発令あり。暫し雨弱まるを待ちタクシー雇い中環は粗呆(Soho)に到る。数年ぶりに仏蘭西料理屋、Le Tire Bouchonに食す。香港大学より散歩のはずが雨空に自動車での移動で早く着きすぎてしまひ料理屋未だ晩餐の店開かずバールにて酒の一杯でもと勧められシェリー酒の盃傾ける。前菜にズッキーニと山羊乳酪、それに鵝鳥肝臓のソテー。この店の鵝鳥の肝臓はペニンスラホテルのGaddi'sよか更に美味。ソース美味なれば予め仏蘭西麺麭をばソース浸し肝臓食し終わった頃にじゅうぶんにソース吸ったパン食せば美味至極。江戸前にて鮪のズケの如く仏語にて「ズケ」とか通じそう。まさか。四谷荒木町あたりの裏通りでシラク大統領引退後に小さな料理屋でもやれば最高とZ嬢と笑う。白葡萄酒はLes Jamelles04年のSauvigonで赤葡萄酒はMas Carlotをハウスワインにてぐびぐびと飲む。このLe Tire Bouchonなる仏蘭西料理屋、香港にて最も巴里の街角にありさうな料理屋にて葡萄酒も50clのカラフあらば二人で白も赤も飲める分量。主餐は羊の腿肉、それに鵝鳥の内臓のソテ。美味。珈琲も香港では格別のエスプレッソ。たまには食後にバーでも寄ろうか、と話したが雨空に何処にも寄らず帰宅す。モヒート飲む。晩遅く雷鳴轟く。
▼Z嬢と晩餐の最中去る十九日土曜日のNHK番組につき余はうとうとと半ば寝ていたがZ嬢の話では美輪明宏氏が(要旨)百人いれば百人の意見がある、それぞれの背景は異なり一概にまとめられず、ただ大切なことは言いたい事を言えない世の中はいけない、暴力で言論を抑えてはいけない、自分の言いたい事を言える世の中が大切、とおっしゃった、と教えられる。但し百マス計算校長も司会者も「番組に出演の若い人たち」も誰もその美輪明宏の言葉の真意に応えられず、と。
▼昨日の映画『ナイスの森』について。Z嬢と「グロすら美しく見せる」その演出の見事さ、と語る。
▼浅草のコメディアン関敬六氏逝去。享年78歳。エノケン劇団からフランス座渥美清谷幹一とのお笑いトリオは伝説。