八月廿二日(火)地下鉄駅などで「日本沈没」「日本沈没」とSMAPの草?君主演の映画宣伝なのだが「日本沈没」あまり心地宜しからず。保守反動右翼の諸君が日本の歴史教育をば自虐史観と非難するが祖国の崩壊をば、それも革命による政府、国家の転覆に非ず母なる土地ぢたいがこの世から消えるといふ、まさに一切の崩壊について娯楽作品とはいへ楽しめる自虐さは、宇宙人襲来に人類の英知で勝つこと好む米国でなど想像もできぬであろうし、中国で三峡ダムの崩壊により長江下流が大水害で上海崩壊といったネタで映画制作などしようものなら国家転覆動乱罪かしら。夕方、北角で用事済ませ次の用事に太古城まで行こうと地下鉄で駅二つだからバスに乗るとバスは北角出ると思いっきりEastern Corridorに入ってしまひ唖然とする間に僅か5分で地下鉄でいえば駅5つ先の更に先の柴湾道まで行ってしまふ。道路交通至便通り越し怖いほど。一昨日の朝もEastern Corridorでついにタクシーで時速120km経験。いつか死ぬと覚悟。バス降りて太古城に戻るつもりが打合せ相手より中環か金鐘でと求められ地下鉄で中環。香港図書公司で07年版のFilofaxのリフィールが出ており購ふ。Z嬢先日銀座伊東屋にて07年のリフィール求めれば毎年10月になります、と言われたもの。電子手帳の普及で今はすっかりファイロファクスなどリフィール手帖使う者減りリフィール購入も難儀。最近は筆で字を書くことも極端に減り、せめてもの習ひとして、手帖は手書き、だけは続けよう、と。それと携帯だのモバイルギアなどでメールせぬ心がけ。せめて外にいる間くらいはネットから身を離れようと。結局、待ち合せが金鐘となり日も暮れる時間なのでDan Ryan'sで一飲。といってもFour Rosesのソーダ割氷無しを二杯。帰宅して揖保の糸の素麺食す。NHKのNW9のニュース番組見ていれば関西から名古屋にかけ気温上昇での積乱雲の影響で記録的大雨、と報じる。大阪でびしょ濡れの若い男にNHKの女性レポーター「びしょびしょですね」と声をかけ、男性に「どこが一番、ぬれていますか?」と質問。「えっ……」とキチガイな質問に一瞬怯んだ男性、内心では上方的に「下半身やな〜」と答えるべきか?と思ったか、良心の呵責に耐えかね「上半身ですね」と無難に済ます。レポーターがヘンなのだが、それを放送するNHK報道局の見識のなさ、というか杜撰さ。ここまでおバカが報道に携わっているか、と思うと呆れるばかり。だが米国の大統領から我が国の首相まで奇人変人が治める世の中と思えば「どこが一番濡れていますか?」程度の奇問に驚いてはおれぬか。首相といえば自民党の総裁選立候補の三者、主張するは谷村新司の如き「美しい国」だの「絆を大切にした社会」だの「日本の底力」だのと。チープ、言葉ばかり泳ぐ。この下らさに対して「しりあがり壽」氏の漫画「地球防衛家のヒトビト」が秀逸。「話せばわかる」と犬養毅に「問答無用」と詰め寄る青年将校ら、のコマから「まさかこんな昔のテロの時代に戻らないだろうね」「ところで問答無用ってむずかしい言葉だね」「そうだな、今だったらひらたく言うと」として「話せばわかる」に対して青年将校が「これは私の心の問題なので話してもムダです」と。
▼昨日訪れし聖ポール小学校講堂にエストニアなる会社のグランドピアノあり。旧ソ連に属したバルト海の小国エストニアは音楽盛ん。このピアノかなり古めかしく「エストニア」のラベルには1893年創業とあり「もしや」戦前の日本人学校購入のピアノがまだここに? 製造番号控えエストニア社にメールで製造番号から製造年をば尋ねると1990年代半ば、とさっそく返事あり。まだ十年物とは。それにしても一晩でご丁寧に返事頂く。
▼歴史家のT君より「珍しいでしょう」と20世紀初頭のミッドレベルの写真に、点在する西洋館の一つに「日の丸」の旗あり。当時の日本の総領事館か、他に現存する写真になし。明治の頃に初期の総領事館はPrince's Terraceにあったという。ここがそうか、と思ったがT君の話では写真はKennedy Rdと思われ下界が湾仔との由。そうすると旧日本人学校にも近し。興味深き写真だがT君がネット上で購入した歴史的写真ゆゑ残念ながら此処に勝手に公開せず。
▼立法会の何俊仁議員への暴力行為につき行政長官Sir Donaldは「追到天涯海角也會逮捕」と決意示す。天涯海角は空と海の果て。中国も越南に近き海南島の西の海岸の大きな岩に「天涯」「海角」の刻字あり。
▼旧聞に属すが十九日の朝日新聞に田中秀征氏の長野県田中康夫知事落選に関しての寄稿あり。長野県民の田中県政に対する厭世感につき、さすが田中秀征それは寧ろ「長野県民の改革熱は冷めず」と指摘。長野県は高速道路、新幹線に長野冬季五輪の旧体制的バブル崩壊で、その反発から田中康夫擁立という革命を起こしたはずが、田中知事自身が「県民から寄せられた過剰なまでの改革への期待に十分に応えることができなかった」もので、過度の中央・行政・公共事業への依存から脱却しようとした田中県政の方向性は正しかったが、それにかわる民間の力を養うことに成功せず、県議会との憎悪に満ちた対立関係も県議は知事とは別のかたちで民意を代表しているのだから県議に丁寧に説明し協力求めるべきで、県職員の間でも離反が多くなり、結果的に県民の支持離れにつながった、と分析。見事。
▼『ソフィーの世界』で知られる諾威の作家Jostein Gaarder氏がイスラエルのレバノン交戦についてイスラエル政府非難の意見発表のところ反ユダヤ主義の烙印押され作家に対しての非難寄せられる。これを信報で紹介の書き手は中国の五十年代の反右派闘争、つまり毛沢東が百花斉放百家争鳴と自由な党批判を求めた結果としての右派討伐が、かりに地元の党員にひどいのがいて、その党員一人を批判した場合、それが党員批判→党支部批判→党批判と解釈され党を批判することは毛首席批判であり、毛沢東が中国の人民革命を勝利に導いたのだから批判は反人民、反革命である、という拡大解釈、を思い出す、と。Jostein Gaarderの指摘する点はイスラエル国家が存在することの合法性で
There is no turning back. It is time to learn a new lesson. We do no longer recognize the state of Israel. We could not recognize the South Africa apartheid regime, nor did we recognize the Afghan Taliban regime...... We must now get used to the idea: The state of Israel in its current form is history.
と語る。このthe state of Israel in its current formが示すものは、勿論イスラエルが1948年建国後に1967年のパレスチナ占領による領土拡大で作り上げた<国家>について。Jostein Gaarderは、このイスラエルの存在の根本にあるユダヤ民族を特別扱いする思想に対して
We do not believe in the nation of God's chosen people. We laugh at this people's fncies and weep over its misdeeds. To act as God's chosen people is not only stupid and arrogant, but a crime against humanity. We call it racism.
と公然と指摘。御意。このJostein Gaarderの文章は8月5日に諾威のAftenposten紙に掲載された由。