富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-10

八月十日(木)午前九時半に上野。今日は早晩まで独り。猛暑猛々しきなか国立博物館。プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展示あり参観。若冲というと鶏とか「これでもか」の色彩で「くどい」画風の印象強いが同じ「くどさ」でも鳥獣花木図屏風だの洗練されていて花鳥人物図屏風も素敵。この江戸絵画展、久が原のT君に教えてもらったのだが江戸琳派では鈴木其一。十枚ほど出展されていて紅楓図、群鶴図屏風が美しい。この展覧会の圧巻は最後の第四室でガラスを介さず絵画をば直接、しかも光の加減で、まるで障子越しに淡い光が差し込み時間とともに絵の表情が変わるような見せ方。これで源氏物語図屏風だの酒呑童子、紅白梅図、森狙仙の猿猴狙蜂図など堪能。寛永寺。両大師の御車返しの桜も夏のこの時期では鬱蒼と力強さ。凌雲橋の鉄橋渡り鴬谷駅の前を抜け入谷の鬼子母神。入谷で用事一つ済ませ地下鉄で浅草。ちょうど昼で天麩羅「まさる」に天丼食す。仲見世の路地の奥にあり店の外でじわじわと汗かきながら待つこと二十分。狭い店内に通され天丼。美味。だがあたしにはタレが多すぎて。浅草らしく天麩羅に濃いタレはいいんだけどご飯にまで丼底にタレがたまるほどで。食後に恒例で梅園で好物の豆かん浅草寺参拝。あまりの暑さに汗ぐっしょりで蛇骨湯に一浴。狭いが外風呂あり涼風抜ける。風呂を出てすっきりすると今度は喉が渇いて神谷バーで生ビールとデンキブラン。昔は神谷バーなんて来ると「若造が」だったのが、すっかり常連客のお仲間の齢。浅草は帽子かぶって扇子パタパタしながら歩いていても、そんな壮年から老人ばかりだから、あたしも楽。六区の浅草演芸場の昼の部を途中から入場。今日が八月上節千秋楽。三味線漫談玉川スミ師匠は大正9年生まれで芸能生活八十三年目。お達者。圓雀、昇太と落語が続き、昇太の落語は初めて聞いたが大人気。そのへんの信用金庫に入ったばかりの集金係の若造みたいな風情でちょっと狂気っぽいところが不思議な噺家。いずれにせよ、それが今様か。トリは小遊三。仲入りのあと噺家バンド「にゆうおいらんず」の演奏だかあったが、それは見ずに地下鉄で新橋。銀座サンボアでハイボール1杯。午後4時前だというのに開店してるってのがいいねぇ、で口開けの客。立ちのみで朝日の夕刊読み終わって出る。銀座八丁目の宮脇賣扇庵の東京店で扇子二本購う。歩いているとまた熱中症になりそう。それを理由に並木通りのサントリーのバーBricksでハイボール。二丁目までぶらりぶらり。トラヤ帽子店でパナマ帽購う。「あれ、パナマ、お持ちじゃありませんでしたか?」と店員君に言われるが、そう、昔、高田馬場の帽子屋で買った一つがあるが、トラヤでは初めて。いつも丸められるような帽子ばかりで、四五年通って初めて帽子入れる立派な丸箱をいただく。早晩に二丁目の(といっても昭和通りより向こうで歌舞伎座の横筋入ってくると近い)割烹・うち山。久が原のT君と築地のH君と三人で食す。上品なお料理の数々。趣向凝らすがけして奇を衒わず。パリのオペラ座での成田屋親子の公演の話となり、凱旋門賞ディープインパクトも参戦で昨日だか渡仏したし、あとはシラク大統領にとっては大相撲巴里場所の開催で、ここまでやれば大統領引退してもいいか、と鼎談。大統領引退後はぜひ横綱審議委員に。デーモン小暮閣下も。これで横綱審議委員に二人の閣下。いい案。カウンターで目の前でさっと作られた葛切りまで。T君と二人で喫茶ウエストまで歩き珈琲とシュークリーム。本日、ちょこちょこと足穂のちくま文庫版読む。
▼先の対中戦争には軍参謀として南京に駐在した三笠宮様が、その戦争に否定的見解なのは知っていたが江沢民君来日の折に(98年)宮中晩餐会で「今に至るまでなお深く気が咎めている。中国の人々に謝罪したい」と伝えたという(東京新聞)。日本軍の暴行見た、と宮様。
東京新聞の国際欄に共同通信の香港電で、ついに「いつか正夢となるであろう悪夢」と覚悟していた「財閥総帥の二男、経済紙を買収へ、香港の信報」という記事あり。「鋭い評論などから地元知識人らに読者が多い経済紙、信報の総株式のうち50%を買収することで信報側と合意」だそうで今後は持ち株率を上げ経営権掌握の見通し。「中国の政治批判にも定評があり、客観的とされる同紙の編集方針の独立が維持されるかが注目されている」と。共同通信のS特派員の憂い感じる記事。但し「最近は部数が低迷」は昔から(笑)。それにしても香港代表するクオリティペーパーが、こともあろうに香港の財閥二世のなかでは群を抜いて「3行以上話すと全く意味不明」なリチャード李次男に買収されるとは……。あと何ヶ月か何年、購読できるだろうか。この新聞がなくなれば、もう新聞を読む必要はない。残念。林山木(林行止)社主はみずから創業の新聞を李嘉誠財閥に売るのなら、廃刊の道を選ぶべきであったとも思えるのだが。

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