富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-09

八月九日(水)雨。といっても台風の暴風雨に非ず高原の緑の青さますしっとりとした雨。その雨のなか露天風呂に浴す。ホテルのダイニングルームで母と妹と朝食。復た露天風呂に浴す。濃い霧の中禅寺湖をあとに「いろは坂」下り日光市街。鬼平(きびら)の水羊羮購う。宇都宮。昼に餃子のみんみん本店に焼餃子と水餃子食す。東北道上り埼玉の川口。緑の向こうにさいたま新都心眺める高級高齢者マンションに住う大叔父のもと訪れる。大正2年生まれ93歳の大叔父は長く築地の料亭に板前として勤め料理長となり江戸料理の或る流儀の調理師協会の会長も務めた人。数年前に九旬にして「もう何十年も写真機は使ってなかったけどデジカメってのが出来て手が震えてても写真がブレないんだよ、驚いたねぇ」とデジカメで撮影の写真をメールで送ってこられて驚いたが、このマンションの部屋に初めて参れば、ノートブックはワイヤレス。邪魔なのがこれでさ、とファクス機を指す。もうメールしか送らないしね、写真も貼付しちゃうしさ、と大叔父。ノートブック指して「これがあるとほんと独りでいても飽きないよ。この機械は若い人のためじゃなくて年寄のためにあるねぇ」とパソコン大好き。ちょうどよかった、ちょっと教えてよ、と見せられたのはDVD-RWで、これってこれ(DVD-R)と違うのは何度でも使えるってことだよねぇ?と。実際に自分が使ったことないのだが知ったかぶりで答えると「こりゃ便利だわ、あとで使ってみよう」と大叔父。これがさぁ、と見せられたDVDの録画番組が「ためしてガッテン」の「塩の活用術」(今年4月19日放送)。振り塩、切り身を洗う、といった料理人としての技に出演以来受けたそうで「もう、ちょっと杖ついてテレビには出たくないぢゃない」と大叔父は若い料理人(おそらく還暦は超えていよう)を紹介し、スタジオで実技指導と監修には出向いた、と聞く。大叔父に、読了の高谷朝子著『宮中賢所物語』を差し上げる。大叔父の話を聞く。宮中で天皇誕生日の祝賀、園遊会などとなるとさすがに宮中の大膳寮だけでは料理人が足りず大叔父もよく招かれて大膳寮へ。若い調理師を連れてゆくが「つい、つい手が出てしまって」自分でも包丁握って仕事。何が緊張するか、って何十人分の料理を作ると、陛下用、妃殿下用、と特別にするのではなく、どれが陛下、どれが美智子さんに行くかわからない。だから魚の小骨とか、大膳寮の上のヒトはかなり気を使ってねぇ。下手に骨なんか喉に閊えたらお叱りですよ。大膳で料理してるうちはいいんだけど新宮殿のほうに出向いて料理する時はちゃんとマスクして前掛けも新しいのに取り換えてね。それと(と大叔父は話し出すといくつも話を思いだし)料理も招かれた客ってのは緊張しているし、鯛のお頭つきとか赤飯とか、食べないものでね、みんな持って帰って家族とかに「これが宮中で」と食べさせたいでしょう、それがちょっと料亭の帰り、じゃなくて北海道だの九州まで持って帰っちゃうんだから、皇居でいただいた料理でお腹こわした、じゃ困るから、そりゃ素材から料理法までずいぶんと気をつかってねぇ……。大叔父に送られ別れる。台風は何処へか、空は晴れ間も見える。早晩に自宅近くで高速のインターを出て「尾張屋」という蕎麦屋。いわゆる蕎麦屋の天麩羅、と母と妹の話。尾張屋ってことは浅草、か、で修業した方が暖簾分け受けた由。確かに浅草の尾張屋のように威勢のいい海老天が二本、蕎麦にのって、蕎麦屋のらしい美味い天麩羅。……とは言うものの、浅草の尾張屋なんて実は十歳にもなる前に祖母に連れられて行って以来ずっと食べておらず。台風一過か見事に西の空が晴れ劇的に美しい、それこそ日光連山などの山並み遠くに拝み、市街の建物も強い西日浴びて一斉に橙色に輝く不思議な景色。母がかき氷が食べたい、と所望して市街のデパートにある、香港住民には何も珍しくもない麻布茶房(もう此処くらいしか市内で甘味やもなし。昔は花街にいくつか甘味やなどあったもの)。帰宅して諸事片づけなど済ます。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/