七月廿二日(土)「私が出馬すれば、靖国問題やアジア外交が最大の争点になり、国論を二分する事態となる」と福田康夫君。国論は二分されて何ら問題ならぬし二分され喧々諤々と議論されてこそ国論鍛練されるはずが結局のところ福田君も所詮自民党の人で正確には「私が出馬すれば、靖国問題やアジア外交が最大の争点になり、自民党を二分する事態となる」。で国論よか自民党が政権を維持すること=国家の大事となり「自民党を一つにまとめる」という点に全ての国論が収斂される。すべてがこれ。小泉三世が変人と嘲笑されていようが一旦首相となれば自民党のセンセイらは小泉を擁て、郵政反対であろうが自民党が二分される事態となれば(一部の信念ある代議士が離党したことを除き)小泉郵政改革に最後は賛同。この思想も信念もなきメダカ社会こそ自民党であり日本の社会そのもの。本日、久々に何もご公務も私用の予定もなき週末。裏山を上り大潭を走る。パーカー山よりQuarry Bayに流れ落ちる石清水の引水路に老人が勝手に幕を張り貯水しての水遊び。鉄砲水も恐れるところ。通りがかりの人何人か「危ないよ」と声かけるが老人はいっこうに耳を傾けず。頑固通り越し、こういうのは「癪」と云うもの、死んでも本望かも。老人らの威勢はそりゃ自然公園管理局も歯が立たず。立ち入り禁止と指示する引水路は水の流れ涼しく老人らの憩いの場と化し洗濯場としても有効利用され、未明から明け方の散歩に暗がりに目印と蛍光塗料や白いペンキで凸凹の岩や窪みが目印に塗られ、高じてペンキで鳥の絵などお絵書きまで始まり、自然公園の山中には老人らのいくつもの秘密基地、アジトある始末。15kmの歩きと走りを終え海岸の木陰に憩う。姜尚中『オリエンタリズムの彼方へ』(岩波現代文庫、04年)半分ほど読む。フーコーとサイードの丁寧な解説で終わるの?と一瞬思ったが日本の植民地学(新渡戸稲造が担った役割は知らぬ人には驚くもの)からエスニシティ、オリエンタリズムからの脱却といった、ここがこの姜先生独自の主題に至るようである(まだその部分読んでおらず)。湾仔。今朝は少し雲も多く、これなら走れるか、と思って家を出たが大潭でかなりの晴天となり、それでも慣れたものだが今日は足にかなり怠さあり途中走れず。脱水症のような感じもして、海岸で休んでも猛暑に悪寒あり。だいぶ納まったが微熱残り帰りがけにC医師の診断請う。A型の流感がこの夏流行っており、たぶんそれだろう、と。帰宅。韮鍋。晩のNHKの番組にデーモン小暮閣下出演。大相撲で朝青龍優勝決めた今晩、相撲解説で「白鵬について語る」に期待して出番待っていたら、突然、ボンッ!という音とともに電気が消え居間のクーラーに繋がる電源部分が発光し煙が出て壁も周囲が黒ずむ。一瞬、何事か、と唖然。結果的には、築廿年近いマンションで冷房の電源部分の安全装置がかなり老朽化し夏の連日の冷房使用で負荷がかかりボンッ!と臨終迎えたもので、それで部屋全体のブレーカーが落ちた由。安全装置部分取り外し、テスターで確かめれば電気供給部分は異常なく、冷房機じたいも幸いに異常なし。応急措置で冷房の配線をば別の電源につなぎ事無きを得る。テレビつけるとすでにデーモン小暮閣下の相撲解説終わっており残念。閣下が人間界以外から初の横綱審議会委員になる日の近いのだろうか。
▼シンガポールの「黄亜細」について。蘋果日報には黄亜細の経営者夫婦取材の記事あり、香港からの来賓である曽蔭権(自称政治家Sir Donald)に骨肉茶を供せなかったのは甚だ残念だが午前四時には仕込み始める連日の仕事で、とても晩に営業など出来ないことをわかって欲しい、と。道理。陶傑氏はシンガポール政府であるから黄亜細への営業時間延長の打診の仕方は二通りあるわけで、一つは慇懃に「政府は貴殿の厚意に大変満足しており愛国的なるその仕業は……」。もう一つは「政府の指示に従わぬのなら衛星当局と税務署がおたくの店の検査、監査に行かしてもらうよ」であろう、と。骨肉茶はもともと労務者の朝飯であり晩に地元料理ならマンダリンオリエンタルホテルの海南鶏飯でも食せば問題なかろう、と。午前三時まで営業。但し陶傑氏によれば、このマンダリンオリエンタルホテルのダインは近ごろ改修したそうで一面、紅色……とは無惨。午後になど訪れると姑に虐められた嫁が吊首の自殺に纏う紅色の衣装の如し。陶傑氏はシンガポールなら百勝城にあるJackyなる海南料理家を訪れてみるべき、と紹介。ところで骨肉茶とは、船の荷揚げに従事の荷方、苦力(クーリー)らが香辛料の運搬で包みからこぼれた香辛料をば集め、それを売れ残りの肋肉と煮込んだもの、との云われあり。強烈な芳香に肉汁、これを飯とともにかっ込んで苦役に出かけた、もの。
▼香港大学の十三の学生宿舎に寄宿の学生らが内地学生の寄宿増加に反対しデモ抗議。中国内地からの学生の寄宿が千名を超え、各宿舎ともに三分の一ほどが内地学生。地元学生の寄宿の機会が減り、内地学生とも生活習慣との違いで摩擦も少なからず。何より、英国の伝統としての寄宿学校制の名残であるから、たんに、自宅から通えぬ=寄宿とは異なるもの。ひとつの宿舎が教養、伝統と化しており、そこに暮すことでそれを会得する様々な機会と経験。旧制中学、高校の寮生文化と同じ。そこが突然、内地かららの学生のシェルター化することに異議というところ。