富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿一日(金)早晩に尖沙咀に渡り火曜晩に飲み損ねのパブWに寄りフォスター麦酒1パイント。鄙びた古風のバーに客は昏刻にニ、三人。ぼんやりと薄暗きバーの隅で新聞にゆっくりと目を通しながらの麦酒に暑さもたちどころに退き涼を感ず。バーに入りし客の顔を見れば旧知のG氏。半年ぶりかの邂逅。「本、ありがとね」と言われ何のことかと思えば、数ヶ月前に或る人介し勝手に「G氏に差し上げて」と海岸で読了の司馬遼太郎の薩摩、種子島紀行をば託したこと思い出す。ちょうど一週間ほど前に受領し読み始めた、と、その司馬本をあらためて見せられるが、今になって思えば海岸で読んで汗でごわごわ、人に差し上げるには甚だ失礼な話。Z嬢と尖沙咀の地下鉄站出口で待ち合せ厚福街の雲南桂林過端米線。肥牛米線食す。五、六年前にTsuen Wanの路徳圍に開業の雲南麺屋。この小店を筆頭にTsuen Wanの路徳圍に新移民系の本格的な各地の麺屋開業しTsuen Wanの公共団地隣の一角、路徳圍が突然脚光浴び、おそらく地下鉄終点のTsuen Wanにわざわざ他から客が食事に訪れるようになりたるは画期的なこと。その雲南桂林過端米線(店の名が長い)あれよあれよという間に港九新界に九店舗。Z嬢に言わせれば同じ店の名前でも店によってかなり味が違う。科学館のレクチャーホールにてベルトルッチ監督の『ルナ』を観る。著名なオペラ歌手である母と、その甘やかされて育ったヘロイン中毒の十代半ばの息子の物語。父の死を契機に伊太利を渡った母と子。近親相姦的なる溺愛。実父の存在を知り三人で再生を誓う。甘やかされて育ったガキのヘロイン中毒、母の溺愛、と筋立てぢたいはどーでもいいが、全編に流れるウェルディのオペラ、終幕の野外の古代劇場跡地でのオペラ劇のリハーサル風景の見事さ、映像の美しさでさすがベルトルッチ、と150分けして飽きずに見蕩れたのも事実。これだけ陳腐なる筋でこの、ビスコンティなら耽美で終わってしまうであろうものを。帰宅して福田康夫君の自民党総裁選不出馬と知る。年齢もあろうが名官房長官はけして首相の器にあらざること。これで安倍か……。堕ちるとろこまで堕ちるほうがマシ。所詮、その程度の首相を選ぶのが民度に見合っているの鴨。かつてネス湖ネッシー、永田町のキッシーと呼ばれたが、その昭和の妖怪の孫が首相に。今にして思えば安倍晋太郎が急逝せねば首相になり、また自民党の後継も変わっていたかしら。
▼「男子高校生の49%、わいせつ画像閲覧」と指摘する警察白書こちら)の猥褻さ。ビニ本、エロ写真、さかのぼれば春画本まで若い人がエロに執着することなど珍しくもなく、何が今更70%の親が「心配」だろうか。「だまされてお金や物が取られる」、って有料エロサイトはクレジットカードないと見られない安全さ、であるし、むしろエロで「だまされておカネやモノを取られる」のは、その子どもたちのオトーサンたちであったりする。むしろこういうことを今日の社会問題化として健全なる青少年育成への邁進こそ心配。各中学校にこういった心や性の問題に対処する心理カウンセラーを配置、とか教育行政までが便乗したり。カウンセラーをまえに性の欲望を言葉で語る……フーコーならかなり興奮しそう。
▼「なんでこうなるの!」と21日の産経新聞産経抄の書き出し。やはりA級戦犯合祀での先帝のご発言は産経新聞にとっては「なんでこうなるの!」か、と思えば産経抄はこの国の御大事のさなか欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズ」解散について語る(こちら)(笑)。動顛で気持ちもわらかぬでもない。昨日の午後三時前にRTHKのニュース速報で「裕仁不満甲級戦犯合祭靖國神社」と流れる。先帝、昭和崩御の前年昭和63年に靖国神社A級戦犯合祀に強い不快感を示し、この合祀を直接の理由として合祀後の参拝をせぬ旨、当時の宮内庁長官富田朝彦君に語られた由。日本経済新聞が入手の富田君のメモで明らかになる。「なぜ朝日じゃないのか」の日経のスクープのようでいて、実は朝日内部には「日経がスッパ抜いてくれてよかった」の安堵感だろうし、今回の靖国問題については所謂左翼よりも財界中心に対中韓刺激する小泉内閣への不信感あり、と思えば日経の報道も不思議でもなし。それにしても何故にこのスクープが今日、木曜日なのか。残念。これが水曜日であれば今朝の小泉三世のメールマガジンでの小泉発言に期待できたものを。いつも小泉三世に好材料のニュースばかり火曜、水曜に重なるのに。その報道見れば、さすが宮内庁長官、メモも万年筆で達筆であった。すぐに「捏造説」などネット書き込みに現われる。当の小泉三世は晩に記者団に対して昭和天皇の発言が自らの参拝に影響するかどうかについて質され「これはありません。それぞれの人の思いですから。心の問題ですから。強制するものでもないし、あの人があの方が言われたからとか、いいとか悪いとかという問題でもない」と宣う。畏れ多くも先帝のお言葉に「それぞれの人の思い」「あの人があの方が言われたとか」と不敬なる言い回し。さすが真紀子大臣更迭で天皇に偽証できるだけの大人(だいじん)ぶり。戦後民主主義の象徴たる今上天皇ばかりか「死んだはず」の昭和天皇が今もって国政に大きく覆はれる事実。実のところ靖国神社であれ小泉三世であれ、もはや自らが権威であり中枢であり、天皇とて自らの信念通す上では「まったく面倒な」的なる存在かしら。で、今朝の朝日新聞は予想通り昨日の日経のスクープ丁寧に後追い報道。読売新聞もこの問題についてはナベツネさんが保守の良心でA級戦犯合祀と国立追悼施設の建立をば提唱する立場であるから、椿説は期待もできず。というわけで今朝の期待は何といっても産経新聞(笑)。社説である「主張」では(こちら
富田氏のメモは後者の説(A級戦犯合祀により天皇靖国参拝を控えたとするもの)を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。
とする。天皇の御心よりも国家として政府が国会審議を経た決議の優先を、と、天皇発言に依存する朝日や日経などに比べ産経新聞のいかに近代的なる態よ!と讃めたいところ。だが常識的なことだが「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択されたのは必要以上の戦犯を極刑に処し、また遺族が精神的に加え経済的にも苦境に置かれることを避けるのが目的。この国会決議はA級戦犯の戦争責任を否定したものに非ず。また厚生省が昭和41年にA級戦犯を「祭神名票」として送ったが、この厚生省の作業が憲法に抵触する可能性高いものなのに、臆病な役人がこの作業をした、ということは明らかに何らかの力が加わっての昭和41年のことであろう。産経の社説は、まるで国会決議?厚生省の配慮?合祀を一連の流れのように書いているが、これはあまりに拙い詭弁。昭和28年の国会決議と(昭和41年という、その国会決議から13年後であることは言及しておらぬが)A級戦犯の「祭神名票」への書き込み、さらに社説では触れておらぬが更に12年後の合祀、と、この3つの事実が寧ろいかに相反しているか、が大切。であるから、無理に首相参拝に合意する社説など書かず産経抄のように「なんでこうなるの!」にしておけばいいのに(?なんど書いても可笑しい)。で産経はそれでは気持ちが納まらぬから、怯む保守論壇の中で威勢の良さでは人後に落ちぬ上坂冬子刀自に登場いただき「正論」欄で「慎みたい「富田メモ」の過大評価」(こちら)と威勢堂々正論述べていただく。拝読。
今回のメモと、昨今話題になっているA級戦犯の合祀論や分祀論とは直接的な関係はない。
このメモひとつを根拠にして、短絡的に、処刑されたA級戦犯靖国神社から外せということになると、東京裁判であれほど天皇を戦犯リストに入れないために努力した東条英機元首相の主張とのつじつまが合わなくなる。東条元首相が天皇を無罪とするために、いかに努力したかはドキュメントフィルム「東京裁判」として残っているから一目瞭然だ。あの東条証言がなければ、天皇も戦犯として指定されかねない状況であった。
と上坂先生仰有るが、天皇が戦犯に指定されなかったのはマッカーサーと米国のおかげ。
もし、このメモを過大評価して靖国神社からA級戦犯分祀せよということになれば、新たな論争が起きるだろう。すなわち天皇は東条元首相の天皇擁護論を知っていたのか、知らなかったのか、ということになり、そのことに端を発して天皇の戦争責任論が蒸し返されることも考えられる。
東条ら臣僕が天皇擁護することなど天皇が知らぬはずもないから「新たな論争」など起きぬし、天皇の戦争責任論が蒸し返される、って「天皇には本当は戦争責任があったがなかったことにする」は日本も米国も保守もみんなの常識。先日の徳富蘇峰の言説の通り。
確かに上坂先生の仰有る通り、天皇靖国参拝の中断はA級戦犯合祀だけでなく
昭和44年から49年まで靖国神社の国家護持論が国会で紛糾した。この論議の過程を見て、国民のコンセンサスが得られていないところへの参拝を思いとどまられたことも考えられる。
のかも知れぬ。これはむしろ天皇がさまざまな状況を総合的に判断した、という証左ともなること。朝日新聞でも使えるフレーズ。で上坂先生は
富田メモ天皇のご発言が記録されていたのは、合祀後10年も経た昭和63年というのは時期がズレ過ぎていないか。考えられるのは、天皇には正確な情報を網羅して直ちに伝えられていたわけではないらしいということだ。少ない判断材料に基づいてのご発言だとしたら、必要以上の拡大解釈は慎みたい。天皇のご発言が身近な人の日記から公にされたのは十分に歴史的な意味があるが、時期的に首相の靖国参拝、総裁選を控えて、ともすれば過大評価しそうな雰囲気でのスクープだけに気にかかる。合祀、分祀問題とは直接的な関係はないことを、ここで強調しておきたい。
と宣われる。昭和63年である。上坂先生は時期のズレを指摘するが、病態悪しき先帝が宮内庁長官を相手に脳裏に浮かぶ様々な事柄につき語る、に何の不思議があろうか。天皇にとって判断材料が少ない?などどうしてかしら。戦時中ですら海外の短波ラジオ放送聴いて戦況をば把握していたという説、今上天皇が宮中にて、日本国民が見ることのできぬ映画“The Sun”をば興味深くご覧になったという説、などなど考慮すべき。確かに、今回のこの報道が「時期的に首相の靖国参拝、総裁選を控えて、ともすれば過大評価しそうな雰囲気でのスクープだけに気にかかる」のは事実。明らかに何らかの力が動いたのだろう。そして本来、この天皇発言が靖国神社の合祀分祀問題とも、首相の信念?としての参拝にも関係ないことは、近代国家として立憲国家として、関係のないはず。が実際には、今回もまた、この天皇発言に保守からリベラル、社会共産両党までが「それみたことか」と反応することに、ああ日本はやはり天皇をば戴く国家なり、と痛感するばかり。そういう意味で敢えて昭和天皇のお言葉から距離を置き冷静に判断しようとする小泉三世や上坂先生が個人主義、近代思想、革新の極みなのか、とすら思えるのが可笑しい。いずれにせよ誰もが皆、安倍某まで含め「なんでこうなるの!」だろう。

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