富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-07-23

農暦六月廿八日。大暑。快晴。流感か熱中症かいずれにせよ昨日C医師の診察請い注射と投薬のおかげで体調快復。さすがに山を走るとかジムに行くという元気なく猛暑のなか傘さして陽射し避けながら太平街市。水電工程の店(と以外言いようがない香港の電気水道冷房関係などの部品屋兼修理屋)で昨晩閃光放ち大破の居間冷房の安全装置の代替品贖う。朝の街市の活気。肉屋で巨大なまな板の上にブタの頭首がゴロンと放られる。帰宅して冷房の電源の修理。珍しい休日の日がな在宅で掃除や机まわりの整理など。冷蔵庫の中にBaileys' のアイリッシュミルク発見。もう何年の貯蔵か。開栓してみると濃厚な芳香。アイリッシュミルクがチーズ状態。恐る恐る舐めてみると絶品。腐乳か沖縄の「とーふよう」の如し。整理したスクラップの中より10月のマカオ国際音楽祭の予告記事見つけネットで調べると偶然にも本日夕方からのチケット発売。発売時間にネットで見るとすでに朗郎&マカオ交響楽団1860年建立のTeatro D. Pedro Vでの演奏会は軒並み売り切れ。辛うじて中秋の晩のケルン放送交響楽団のチケット入手せむと予約手続き進めれば予約の最後でクレジットカードの有効期限入力が事もあろうに「年」の選択が「2016年」より始まり明らかにサイト設計ミス。ここで「だからマカオは……」と言ってはいけないか。手持ちのクレジットカードで有効期限最遠は2008年。試しに2007年のカードを2017年で入力してみるが「有効期限の設定が間違っています」と。当然か。慌ててマカオのチケット販売部署に電話すると電話つながりチケットは確保。Marian Andersonの歌うブラームスのImmer leiser wird mein Schlummer(Immer leiser wird mein Schlummer)など聴きながらのんびりとした午後。下手な書道の練習。手本は虞世南孔子廟堂碑を元にした楷書の練習本。デンキブラン一杯。ドライマティーニ二杯。大暑、日本では土用の丑の日。鰻丼食す。日本で土用の丑の日はよく太陽暦にしなかったもの。ちなみに香港では大暑に食すのは西瓜。水分接収し涼を摂る。日本では滋養強壮の鰻だが西瓜とは食べ合わせ悪いと言われ、日中関係はやはり一衣帯水とは言えず、か。NHKスペシャルで「ワーキングプアー」なる、働いても生活苦の特集。ワーキングプアーと呼ばれる若者がここ五年で1.5倍の1600万人。米の値段もこの五年の下落著しく秋田県では六千戸の農家が廃業。介護保険料すら値上げ。このような状況では通常であれば常識的に考えて独裁国家では(経済成長の続く中国を含む、北朝鮮を除く)革命か政府転覆が生じ法治国家なら選挙で与野党政権交代なり最低でも内閣総辞職なり生じるはずだが日本では小泉内閣の長期政権の安定。不思議なようでいてこのワーキングプアーの人たちのどれだけが今の政治を支えているのか。NHKとて同様。番組の最後でナレーターが「なぜ普通に生きていけないのか?、私は疑問に感じてなりません」と宣い経済評論家の内藤克人らを登場させ「最も深刻な構造問題」「非常に根の深い重大な問題」と言うにとどまり、バランスとるためか通産省辞めた経済コンサルタントだかに「貧しければすぐ救済されるのではなく」「活力で稼いだ人のおカネを還元していかないといけない」ことをわかってもらわないといけない、と言わせ、最後はそういったワーキングプアーが多くなるとその子どもの教育も荒廃し……と悲しい話を持ち出し「個人の問題でなく、私たちは、これを社会の問題として考えなければならないのではないでしょうか」と結ぶ、真っ当そうで責任明らかにせぬ番組づくり。NHKの基本。これを「国民の圧倒的な支持を得て誕生し五年の長期政権となった小泉内閣。その小泉さんは日本のためにいったい何をしてくれたのでしょうか?、コマーシャルです」なら久米宏。だが本当は「その政権を支持してきたのが私たちなのです。他人の所為にはできません」と結ぶべきだろう。姜尚中オリエンタリズムの彼方へ』後半読了。アジアにサイードは生まれるか?と姜教授は問うのだが「在日」として生まれ東京大学の教授として教鞭をとる姜尚中こそアジアのサイードかも。第5章「世界システムのなかの民族とエスニシティ」が面白い。フランシス=フクヤマの「歴史の終焉」の楽観的な気分も色あせて(フクヤマの理論が楽観的かどうかは疑問だが)ポスト冷戦期の典型としてサミュエル=ハンチントンの「文明の衝突」が生まれ、この東西対立が持て囃される21世紀ではあるが姜教授は「エスニー(ethnie)から民族への動きとその政治化が顕在化するのは、近代化システムの形成とともにであって、それ以前にさかのぼるわけではない」と、まるで今日の世界の紛争対立が数千年前からの「文明」に係わるとする「文明の衝突」見方を否定。「文明の衝突」は第一次的には「それを生み出した原因である世界システムの構造的なプロセスとその変容から説明されなければならない」もので「結果と原因を混同してはいけない」。
民族という身分をつくり出す運動が民族主義的であるとすれば、この運動はそうした「意識を創出し、言語を生き返らせ(ときとして、発明し)、名称をつくりだし、運動集団を他の集団と区別する習慣的実践」と強調することで、その文化的パターンの違いを増幅させてきたと言える。この意味で民族主義が階級の権益に役立たないような多様な状況のものでは、身分集団的結合は、その代替的極である宗教などに具現されることになる。
フーコーとサイードを読むとこのように民族主義だの愛国心イカサマさがわかるようになる。
▼頭上にはゴミから故障したエアコンまで何でも天から降ってくる、と言われる香港。だが少なくても「街路を歩く人を意図的に傷つけるためではない」ことだけはモラルであったはず。それが昨日は九龍でハサミが降ってきて街路歩く老婆の頭に見事に刺さる。毛糸帽被っておりハサミは頭皮破りわずか数ミリの軽傷で済む奇跡。その数時間後だかに別の場所から同じくハサミが落とされ同じ輩の仕業と察せられる。

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