富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月三日(月)朝も七時すぎに驟雨。夕方も五時過ぎに驟雨。晩も小一時間の大雨。晴れ間に幾度もこのテの降雨あり。南洋のスコールの如し。香港などこういったスコールなど多いと思われているかも知れぬが、実は香港は亜熱帯で長雨はあってもスコール的な雨は珍しい。それが今年はかなり目立つ。これから夏になる度にスコール多くなれば地球温暖化の現象の一つ。熱帯特有のHaze(日本語に語彙なし)覆う地域が徐々に高緯度に広がる如し。あと十年もすれば東京で夏にスコールが襲う鴨。スコールというと
スコールが通り過ぎると、昼の暑さが、地温がすこし冷めたおかげで、心地よい涼風が書斎のなかに流れ込んできた。
なんてサマセット=モームの印象。高校の頃に英語の成績など最低なのに旺文社だかの私立文系難関校英語読解対策英文対訳シリーズ、(わざと例文の主述関係をおかしくしてみたが)和訳の係り結びが少しおかしい「関係代名詞に支配された」受験英語の世界、そこで恰好つけてモームなど読んだふりして(実は和訳ばかり読んでいる)そうか、シンガポールにはラッフルズなるホテルがあり、そこのバーにはモームがいつも坐るカウンターの席があり……なんてことを知って独り悦に浸っていたものだが、そういう印象で「スコールのあとは涼しくなる」と信じている。確かにモームの時代はそうだったの鴨。しかしキョービ、スコールはむしろ不愉快に暑く蒸す。モームの昔なら陽が傾いて西の空に沈む頃には、発熱するものは地熱だけ。スコールで地熱が冷めれば涼しくなる。それが今では陽が沈んでも自動車や冷房機の放つ熱風がひどい。而も地面はコンクリート。雨水がコンクリートの地面を濡らし、熱気で蒸され、自動車や冷房機の熱気と相俟って、嗚呼、不快。自然環境の破壊はもはや救われぬ域に達してしまっている。
▼昨日、民政事務局局長「肥平」何志平君のこと少し讃めたが昨日、肥平、昼間の活動は「情繋家國、国民教育活動」なる背筋寒くなる行事に参加。親中土共の香港工商専業協進会と九龍社団連会の主宰で「愛国」の意識高揚が為に香港各地で若者二百名の「国民教育大使」なる者を選び、その任命式。普通の、そのへんの人のさも良さそうな青年男女選ばれているが、この発想はナチの親衛隊か文革紅衛兵と何ら変らず。身勝手な民主だの自由などと叫ばずに、国家あっての社会、国家あっての安定と平和、と理解しませう、と七一デモ翌日のこの陳腐なる国民教育運動。これに政府代表として肥平が参加。香港大学のOBでも英俊の誉れ高き肥平が、どれほどまでにこの国民教育運動に感銘しているか甚だ信じられぬが、さぞやお疲れ、で晩のツィメルマンであったのだろうか。1981年にポーランドでヤルゼルスキ将軍による戒厳令発令でポーランド離れたツィメルマンが、同じく十九世紀の王政革命で祖国離れたショパンの曲を演奏から肥平が何を感じたか。

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