六月廿一日(水)忙殺されたまま晩に至り知人と食事など済ませ独り銅鑼湾にてかなり久々にバーYに一飲。大学で教鞭とられるPh.Dなので「先生」とつい呼んでしまったが飲み屋でそりゃあるまい、と訂正のN女史(Y嬢でもいいか)と邂逅し幾つか物語す。十一時すぎには帰宅。
▼中国外交部の報道官といえば露出度ではかなり。世界の目が中国に集まる中で「中国政府の」正論をば世界に発信せし要職。89年天安門事件にてすっかり信望墜落の中国政府の外交は、その後香港返還の頃まで建て直し時期に報道官務めしは外交部期待の若手・沈国放氏で、その後は国連大使、外交部副部長まで出世せど何かワケありで外交部系列の出版社に左遷。その職で最近目立つはJiang Yu女史。此処に掲載の画像ではあまり悪くないが中国政府外交部は報道官の髪形は要検討。沈国放氏も「盛り上がった髪形」であった……。