富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-06-07

六月七日(水)旧知の編集者のS嬢と電話で四方山話。と此処に綴るほど電話で忌憚なく雑談というのも余には珍しい。聞いて「まぁ、それはそれは……」という話あり。ワールドカップ、いくつか賭ける。香港ジョッキークラブで合法的に。今年はドイツ開催で開催時間が極東には夜半から朝方になるため、試合は観られないにせよ何が一つ安堵かといえば必要以上に飲食店が混雑せぬこと。4年前は日本&韓国開催で夕方以降、パブやバーならまだしも茶餐庁もかなりの混雑で中継盗み視の通行人を妨げようと黒幕張り(文化祭のお化け屋敷じゃあるまいし)茶餐庁の分際で最低消費HK$40など登場。その時に比べれば視たい人だけ睡眠不足、で世の中は平和かも。晩に独りFCCのラウンジに食す。タンドリチキン包み。ハイボール二杯。市大会堂にてEugene Paoのquintetによる演奏会ありZ嬢と聴く。香港代表するジャズのギタリストEugene Pao(包以正)の演奏は、これまでちょっとしたライブやリハの垣間聴き?ばかりできちんと聴くのは初めて。もっとブルースっぽいジャズ想像していたが予想以上にフュージョンっぽいのは今晩の趣味なのかいつものことなのか僕は知らない。Eugene Paoがいくら香港を代表するジャズの演奏家とはいえ、香港というジャズにはあまり縁のない土壌でプロでやってゆくには大変かしら、と思っていたが、先日、ある旧知の女性から、このEugene Paoは香港の海運王、故・包玉剛(Y.K. Pao)の資産家の一族であると知った。ジャズミュージシャンというと、どこかハングリーにジャズが好き、という勝手な印象があるので、ちょっとヘンな感じがしたが、本来、音楽ってものは、ミュージシャンがべつに経済的にハングリーじゃないといけない、なんてことはない。で今晩のEugene Paoのquintetは、キーボードが地元のTed Lo、この人も、今晩のコンサート会場で偶然にあった編集者のY嬢の話では「ベンツに乗ってリハに来る」くらい裕福らしいが、あ、まだそんな話を僕はしている、関係ない。サックスはフィリピンのTots Tolentinoにベースは米国人だが香港を拠点に活動するPeter Scherrで、ドラムは本田珠也。今さら言うまでもなく父親がピアノの本田竹広で母親がボーカルのチコ本田。叔父さんが渡辺貞夫に渡辺文男で12歳でドラムを始め翌年だったか本田竹曠のネイティブサン斑尾ジャズフェスティバル(第1回)に出演したときネイティブサンに飛び入り参加したのが初舞台……という今じゃもう20世紀の伝説だろうが、その本田珠也が日本人離れした、この「日本人離れ」って言葉は嫌いだけど、本田珠也については他にいい形容がない。……とちょっと植草甚一の文体を真似たらこんな感じか。嗚呼、それにしても本田珠也のドラムの凄さ。むしろEugene Paoが5人のなかではちょっと私には今日の演奏は苦手な部類だった鴨。市大会堂でジャズを聴くのはミルト=ジャクソンが亡くなったのが1999年で、確かその2年前くらい、1997年だったかのMJQの来港コンサート以来のはず。演奏会の途中にはZ嬢にリッツカールトンホテルのバーででも飲んでいこう、と言っていたのに10時半に演奏会跳ねたら、もう体内時計的には起きていられず、胃腸の調子も悪しく帰宅。
天皇皇后両陛下8日からの新嘉坡、マレイ、泰国訪問に先立ち記者会見(此方)。要所要所メモご覧になってとはいえ訪問先の国々や王族などについて数十年前のことから物語る内容の緻密さ、その心遣い、まさに報恩感謝の御心の天晴れ。まだ30代の皇太子時代に訪れた泰国でプミポン国王自ら運転する自動車でチェンマイ郊外の広野走る光景などさぞや楽しき思い出であられよう。外国訪問前の記者会見は昭和天皇の歴史的ディズニランド、否、米国(つまりイコールでディズニーランドか)訪問前の記者会見が記憶にまだ鮮明だが、陛下の肉声(或いはそれにかなり近きもの)聴ける数少ない機会。今回も、今回のご外遊について一通り話が終わると、この時ぞとばかりに「愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められています。しかし、陛下が訪問されます国も含めました近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛下もそうした見解に共感されますか」というかなり強引な質問から始まるが
教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法上の私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。教育は国に発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。これからの日本の教育の在り方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら世界の国の人々の幸せについても心を寄せていくように育っていくことを願っています。なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に委ねられるべきことで、わたくしが言うことは控えますが、事実としては、昭和5年から11年、1930年から36年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣、あるいはその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという、異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは、非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。
と陛下。東アジアとの関係については「東南アジアの指導者の人たちが日本と東アジアの関係を懸念する中、両陛下が平和をアピールする歴史的な訪問と期待していますが、ご訪問の意義について付け加えることがあればお聞かせください」という質問に
やはり、これまでの歴史というものを、十分に理解し、そのうえに立って友好関係が築かれていくということが大切なことではないかと思っています。
と。ダウンロードして見終わったビデオクリップはポイとデスクトップ上のゴミ箱にポイと捨てて果たしてよいものなのか、と憚られもしたりする。

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